![]() |
![]() |
![]() |
早速展示を見ると、百年前の最初の発掘調査を行ってから何度か調査が行われたが、今回の展示は昭和の戦後のものだ。初期の出土品がどこにあるのかはわからない。東博だろうか?五領ヶ台貝塚は、国史跡に指定され、残されているようだが、万田貝塚は、看板だけらしい。
帰りの電車の中で五領ヶ台式土器を調べてみたら1925年に八幡一郎、三森定夫が発掘調査した土器をもとにして1936年に山内清男が形式設定したもので、東大総合学術博物館に原品があるらしい。万田貝塚の黒浜式土器は、羽状縄文という鳥の羽のような、矢羽のような文様があるが五領ヶ台式土器は、精緻で細かい複雑な文様がついている。ガラス越しだと裏は見えず、文様も細部はよく見えないが、それらの文様の意味はわからないが土器づくりに相当打ち込まないと出来ない立派な出来だ。土器を観察しながらいくつか簡単なスケッチをして、二階の常設展示の縄文土器も見た。当時、土器は果たして女性がもっぱら作っていたのだろうか?どんな思いで土器製作に向かっていたのか、縄文人に聞いてみなければわからない。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する