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日記
札幌北大総合博物館で北海道考古学会研究大会があるので出かけてみた。成田空港を七時50分発、新千歳空港に9時半前に到着、札幌駅から北大に向かう途中昼食を食べにサイゼリアに入ったが会の始まりが十一時と気づき、注文をキャンセルして急いで北大に向かう。博物館に入り三階の講義室でギリギリ時間に間に合った。会が始まり、最初に法政大学の小口先生が基調講演、昼食休憩に入り、一階のカフェでオムライスを注文し、資料集に目を通す。香深井遺跡等のある礼文島教育委員会の高橋氏によるオホーツク遺跡の動物、魚骨などの分析、枝幸市の高畠氏による目梨泊遺跡の金銅製両刃剣の研究と復元など、興味深い報告がたくさんある。講演では、古代中世の倭国、日本の王権などとの関係を越えてサハリン、沿海州、中国などとの関係を含め広い視野で北方、オホーツク人や擦文文化との関係を研究する必要を力説された。また福島大学の菊池芳朗氏は北東北の末期古墳は、古墳文化の北進の枠組みから考え直す必要を強調、北東北の特に七世紀の初期の「末期古墳」は、南東北の古墳と本質的に変わらず、北東北の墳墓を古墳と区別するなら南東北の古墳もそれに該当する物がたくさんあるという。古墳の定義そのものを考え直すべきという。古墳文化の枠組みの中で考えるべきということは頷ける。高畠氏はさまざまな分野の専門家と検討し、復元案を示されている興味深い。柄の漆塗りと金銅製の装具と、花と魚々子文様について考察された。小口氏は文様に関しては中国大陸に見られるもので金銅製両刃剣の由来をさらに深めるべきだとするが、茨城県などで類例がいくつかあり、日本で作られたのではないかと高畠氏、目梨泊遺跡は、オホーツク文化の大集落遺跡で出土品の一部が国の重要文化財に指定され、刀剣類は、七世紀から九世紀までの間で多数出土、文様の大陸的様相から中国から何らかのルートで渡来したが、あるいは京都周辺で中国系渡来系工人の製作によるものか?謎は多い。
5月31日(土)北海道考古学会「古代中世北方諸地域の文化様相と展望」
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