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役割語の起源は江戸時代の滑稽本や歌舞伎など古典芸能にすでにあったのです。マンガだって浮世絵譲りの文化だものなあ。江戸中期に江戸言葉が形成される以前は、江戸は地方方言のるつぼだった。その時社会の指導者的役割を果たしたのが上方の公家が話す西日本方言であったことが由来しているそうです。
お蝶夫人の「てよ、だわ、のよ」言葉は、もとは明治中期には卑しい身分の女の語尾だったというのにも驚きますが、女学校でハク付けされて広まりました。その歴史的変遷を二葉亭四迷の「浮雲」始め、さまざまな原典で紐解いていきます。戦後、華族が廃止され、お嬢様は、制度として実在しなくなってしまったのです。私の妻の母は山の手の小学校出身で、ぎりぎりお嬢様言葉を使う人です。最後の世代でしょう。
貿易港などで、簡易に話すための外人語はピジン語と呼ばれ、ジャマイカの英語とか、シンガポールの英語とか仏領カリブのフランス語とかで普通に生じる言語ですが、「●●アルヨ」という語尾は、ピジンジャパニーズでした。明治初期の横浜港の英語話者向けの簡単日本語会話ブックに「●●です」を「●●あります」と書いた例があり、なるほどと思いました。「9時です」→cocoanuts arimasu「ここのつアリマス」には、笑いました。明治12年のアルヨ言葉の原典をつきとめています。はじめはただのピジンだったのに、日清戦争、義和団事件、日中戦争通じてどんどん「愚鈍なあるいは怪しげなシナ人」のステレオタイプに変わっていった事例が示されています。1938年のらくろの猛犬軍の敵、豚軍は、アルヨ言葉になっています。
引用事例にアトムやエースをねらえやベルばらなんかのマンガが多いけど、かなり学者っぽい本です。
韓国語の、イダも、ですとあるの意味があります。私もお蝶夫人言葉よく営業に使いますよ。本日も、使いました。「行ってあげてもよくってよ!」
通訳すると、それくらいの内容で、簡単に私を呼ぶのも、どうかと思うけど、仕方ないわねとゆう嫌々調をさらに強調の時に使います。私こそ何様ですよね。
イダ、イダ、ムニダ、と語尾に多用すると、カタコトコリアン語を話す日本人ぽくなるのかな。日本語と並びが似ているから、ノリも近いかもしれませんね。
バーチャル語を使うと、「これは漫画ですのよ」と、言外に断りを入れているようなものだから二重の意味が含まれてこれまた意味重厚です。
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