「新府の風を感じる・・・」
「ここに家康が来たのか・・・」
と感じ入っていました。廃墟から想像する力をもつ女子高校生でした。信虎墓の横には朝鮮出兵で武勲を挙げ一時甲府城に君臨していた浅野長政の碑まで見つけていました。土産物屋でウイスキー山崎を見れば、「合戦場の山崎・・・」とつぶやき、お小遣いをはたいて御朱印をいただくレキジョぶりです。
最後の締めは武田家発祥の武田八幡神社(韮崎市神山)。武田勝頼一行は新府城に自ら火を放ち、滅亡までの道程で、ここに参拝したのでした。1582年のちょうど3月、今頃の季節で、命日はなんと3.11です。次回は大善寺、天目山敬徳院行きましょう。
甲府に来たお客さんで、オッサンの戦国談議に飽きずついて来てくれたのはこの女子が一番だったかもしれません。
いまどきは鎌倉幕府は1192ではなく1185年、おっさんの中高生時代に教科書に載っていた頼朝の肖像画も信玄の肖像画も、当人かどうか不確かだそうです。足利尊氏は明らかに別人だとか。古文書を精査して、発見がどんどん出てくる歴史っておもしろい。
甲府土産は、寺社の御朱印と、恵林寺で求めた風林火山の手ぬぐいでござった。
yoneyamaさん今晩はです。
大河ドラマはタイトルや原作・脚本が変って何度も見ていますが、今年のドラマはいつもと違い楽しく見ています。
興味が出てあらためて見るドラマは何か感無量な所が有りますが、実際にお寺や城跡を訪れて生で見る方がもっともっと凄いかもしれません。
興味とやる気は年齢に関係がないと言われますが、やはり歳のアドバンテージ=吸収力はダントツに違いがあるかと思いますので、乾いたスポンジが水を吸うが如く、yoneさんの話が枯れるまで搾り取って行ったかも知れませんね。
いつもよりも面白いのは、信州人のせいもあるかもしれませんね。やっぱり史跡が近いと違いますね。
吸収力と記憶持続力はやっぱり十代にはかないませんね。私の場合教養のほとんどは十代に得たものという気がします。十代の人にこそ冬山始めて欲しいです。
先日、津久井城址に行ってきましたが、八王子、多摩のこの辺一帯はやはり北条さんの名前が一番多く出てきます。が、みんな豊臣さんや徳川さんに滅ぼされてしまったようですね。
戦国歴史、さわりしか知りませんが現地で説明盤など読むと身近で興味湧きます。
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