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( なんたって出発点が「全ての始まりは250Ma隕石落下から…」ですから、「ラスボス」とゆうより、スタートからずっと居続けている大きな壁です。)
・ 現実の地史は、人知を超えて複雑ですが、必ず真実のヒントがどこかに隠されています。
図1: 日本海の海底地形と名称。
図2: 日本海の地質分布、断層、地質区分。
日本海域研究所報告,第12号,97〜103頁 「日本海の地質図」より
( 1979年 ソ連邦科学アカデミー極東科学センター太平洋海洋学研究所(ウラジウォストク)柏野義夫・桑野幸夫 訳 )
図3: 現在の日本海( 概観 と 地質 )
ツイート 巽好幸 @VolcanoMagma より
" https://twitter.com/volcanomagma/status/1349824919144603649 "
・ 図1図2の研究報告原文は(ほぼ半世紀前の)古い研究ですが、私が注目したのは、『 50〜60m.y.の間に,日本海では総計2〜3kmの堆積物が累積したにもかかわらず,日本海は大陸と大きな列島との間に位置し,その盆地の深さはしばしば2〜3kmをこえる。』のところ。
この文だけでも、「堆積物を除けば、深さは4〜6km」= ほとんど海洋地殻の底に匹敵…、その(日本海の)堆積物は、50〜60m.y.の間に堆積した…と、書かれているではありませんか。
・ 今は、なぜか「20Ma開裂説」を、疑う人がほとんどいないほどのスタンダードになってしまっています。
( もしも、ベルセニェフさんとレリコフさんが、「20Ma開裂説」を聞いたら、どうお考えになるだろう… 私は、ここを疑ってかかる所から出発して、地史をたどっていますので、この「ボスキャラ」を乗り越えなければ前に進むことができません。 )
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図1、図2、
日本海域研究所報告,第12号,97〜103頁
「日本海の地質図」
Translationfrom:Bersenev,I.I.andLelikov,E.P.(1979),GeologicalmapoftheJapanSea,
B'加血,1979,no.8,p.74-79(mRussian),byYoshioKAsENoandYukioKuwANo.
ソ連邦科学アカデミー極東科学センター太平洋海洋学研究所(ウラジウォストク)
イ・イ・ベルセニェフ**,イェ・ペ・レリコフ**著
柏野義夫***・桑野幸夫****訳
" https://kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=29620&file_id=26&file_no=1 "
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文末のみ原文の「まとめ」に相当する部分のみ、その全文を引用させていただきます。
『 〜 問題は次の点にある。
すなわち,日本海盆地の起源については,ほかの縁海や多数の内海の盆地と同様に,
現在までに統一された見解がないことである**・
海盆が〔海洋地殼の〕レリック起源だとする説に賛同する人がいなくなった一方で,多くの研究者は, 「塩基性化作用」仮説,すなわち,大陸型地殼が海洋型地殼に改造され,それに伴って地表が沈降するという考え,に賛成し続けている。
「塩基性化作用」仮説の見地からでは,大陸と日本列島に見られる圧縮構造の形成を説明することは不可能である。
次に述べる仮説は,地殼が伸張を受けるリフト地帯の存在と,盆地の縁辺部に沿う地殼の圧縮地帯の存在とを仮定している。 この場合,リフトを限る断裂の年代は,地殼の圧縮の結果生じた構造の年代と同様に,日本海盆地の形成期を決定するものである。
沿海州沿岸の大陸斜面に露出している固結した基盤岩類で,もっとも年代の新しい岩石は,白亜紀後期の花崗岩類及び火山岩類で,その年代は80〜100m.y.である。
この地域の大陸斜面から産する岩石で,もっとも年代の古いものは,40〜50m.y,に形成されたものである。 したがって,大陸斜面の基底となり,リフトの縁であった断裂は,後期白亜紀の後半〜暁新世に形成された可能性がある。
大陸及び日本列島の地殼の圧縮に伴う造構運動は,後期白亜紀の末に発現した。 この時期にシホテアリンでも,水平方向の変位がおこった。
日本列島では,いくつかの地域を除いて,水平圧縮過程が暁新世と始新世の間ひきつづいた。
このように,白亜紀後期及び暁新世〜始新世における陸上での造構運動は,日本海のリフトの発達と対比させることができる。
始新世〜漸新世以後には,日本海の西部及び北西部では,顕著な水平的な運動はおこらなかった。
漸新世の末と中新世に,日本列島の西部とサハリンでは,厚さ5,000mに及ぶ厚い火山起源の堆積物,いわゆるグリンタフが堆積した。
同様な岩石は,日本海の東部及び南東部にみられる。
古第三紀には,日本海の水面下の高所は,大部分が島あるいは半島であり,玄武岩質の火山活動がほぼ全域にわたって生じた。
中新世になると,これらの高所の不均一な沈下がはじまり,これに伴って正断層や地溝の形成がおこり,多くの地域で火山活動がおこった。
まずはじめに,日本海南西部の海嶺が沈下し,つづいて大和堆とプルジェワリスキー海嶺が沈んだ。 その際に,北大和堆と南大和堆の脊稜は,長いあいだ島となって残った。 隠岐海嶺と白山瀬が海面下に没したのは,おそらく更新世末期の頃であろう。
深海盆の形成にあたっては,リフト帯の地殼のみならず, その間にはさまれていた大陸型地殼のブロックにも伸張の影響が及び, 伸張力の作用によってこれらのブロックの結晶質基盤も分裂して,その割れ目に玄武岩マグマが註入した。
こうした過程の結果は,“花崗岩質層”の厚さの減少と,亜大陸型の地殼の形成によって表わされている。
亜大陸型地殼のブロックの平均密度が著しく増加した結果,これらのブロックは深さ1〜2kmあるいはそれ以上まで沈下した。
大部分の研究者の考えによると,日本海は他の縁海と同様に,現世の地向斜あるいは地向斜系である。
しかしながら,日本海の盆地では地向斜に典型的な性質のいくつか,
すなわち,地殼の厚さの著しい変化と高い熱流量という性質だけが特徴的に見られるにすぎない。
50〜60m.y.の間に,日本海では総計2〜3kmの堆積物が累積したにもかかわらず, 日本海は大陸と大きな列島との間に位置し,その盆地の深さはしばしば2〜3kmをこえる。
日本海盆地での火山活動は,主としてその形成の初期の段階におこったが,最近の15〜20m.y.では顕著ではない。海底の地震活動は軽微である。
以上に述べた諸性質からみると,無条件で日本海盆地を新生代及び現世の地向斜に含めることは不可能である。
新生代には,それ以前の地質時代には生じなかった新しい型の造構様式が発生した可能性がある。
〜 』
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図3:
「 ジオリブ研究所: ジオリブ研究所長の巽好幸。
ジオリブ研究所HP: " https://geo-live.jp/ "
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同日追記: 20220708 22:00
まとめの 中盤にも…
『 沿海州沿岸の大陸斜面に露出している固結した基盤岩類で,もっとも年代の新しい岩石は,白亜紀後期の花崗岩類及び火山岩類で,その年代は80〜100m.y.である。
この地域の大陸斜面から産する岩石で,もっとも年代の古いものは,40〜50m.y,に形成されたものである。 したがって,大陸斜面の基底となり,リフトの縁であった断裂は,後期白亜紀の後半〜暁新世に形成された可能性がある。』
… の文面にも、日本海の断裂面が80〜100Ma形成の可能性とあって、
「日本海開裂20Ma」では、大きな矛盾が生まれる、地質年代が記述されている。
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訂正:
本文中で、「( m.y.とあるのは、今のMaと同じ「100万年前」を表します。 )」と書いていましたが、Maは現在からさかのぼったの年代を表しますが、Myは、単なる年数ですので、文中の過去のある年代ともう一つの年代の期間を表す場合は「My」を使用します。
例: 50Maから30Maまでの、20Myの間に於いて…のようにつかいわけるようです。
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