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その上部のみが、まるでマンガのように「ポロ」っと下に欠け落ちたように描かれていま す。
( 山体の裾野の端が東北の海底の端に届いて、衝突し始めてから、何百年もかかって、
太平洋地殻の端にある海山ごと、少しづつ押し付けられてストレスを貯めていって。
その方向は、地殻下層と同じ「北西」向けで、東北の反対側は、ほとんど動いていないと仮定。本来の海洋地殻の移動量は10cm/年として、100年で10m、500年で50m。)
通常の海洋地殻であれば、周辺と一緒に沈み込むところですが、
海底より4000mも高い(海底面から地殻の下層までも加わって)
大きな塊の山体が衝突、東北側の大陸海底もそれを受け止め、
そして限界点に達し、山体中央断裂、せん断、がきっかけとなって、
東北東部の海洋地殻側が1年かかって65m北上し、それまでのストレスを開放
海溝部周辺の沈降に伴って、先端部分が1800mほど沈降。
図1: せん断前の山体を南に戻して合体。(Googleマップより加工)
・ 鹿島海山の残りの半分が、海溝をまたいで10km先の反対側に届くのに、10万年ほどかかりますので、こんな極端な移動はありえませんが、図で100mの移動では、見てもわかりませんので、遊びで目いっぱい移動させてみました。
( このように、衝突してから断裂せん断まで500年におこったことを、想像するだけでも、物理的に整合がとれていなければなりませんが、今ある大陸側の凸凹や、海洋地殻側の皺のひとつひとつにも、必ずそうなった原因や理由があります。)
( 鹿島海山から北の皺は、そっち方向への圧縮ストレスの痕跡と、私は考えます。)
図2: 第一鹿島海山の断裂(ネット「第13回 日本列島の形成」より)
http://zhang.web.nitech.ac.jp/lecture/earthscience_new2020/Lesson-13.pdf
小林和男 『深海底で何が起こっているか』講談社ブルーバックス、1980
図3: 海洋地殻の海底地形(Googleマップより)
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同日追記:
・ 図2のイラストが1980年作成なら…
東北大震災より前から、第一鹿島海山は、割れていたことになって、
この断裂が、震災のトリガーとゆうのは、矛盾してしまう…
なんてこった! やれやれ、また「廃版ボツ」へ大移動か???
( 今週の努力は、妄想沼だったようです… )
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参考URL:
茨城沖で発生可能性大の巨大地震と第一鹿島海山
https://blog.goo.ne.jp/repu/e/0da3325c7d93585d86cc3aa8924d0d73
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