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・ 前回の千島列島ブロックの境界に加えて、それがどのように現在の位置へ移動したかを想定する。
( グリンタフ活動は島弧変動での接合時の圧力をうけて、その圧力ひずみにより発生したとの、
勝手な前提での考察です。)
図1: 日本周辺のグリンタフ地域と、応力ひずみ帯(ネットより)
図2: グリンタフ地域から想像した島弧の動き。(書籍より筆者加筆)
・ 東北北海道の西進(時計廻りに接合)と、千島から網走/釧路/根室の北上?
( 西南日本も北部にグリンタフがあるのは、黒瀬川帯の接合の結果か?
もしそうなら、黒瀬川帯と西日本との間に、圧力変成帯があるはずだが… )
・ グリンタフの図は、九州が描かれていないものや、九州西部が破線でかかれたものなどいろいろ。さらに、グリンタフが先か、黒瀬川の接合が先か?、なんとも悩ましい問題も残る。
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追記:
・ 少し古い(プレートテクトニクス以前の地向斜の時代)の文献のサイトですが、 読み進めるうち… (3)の文中に、興味深い個所を見つけました。 その部分のみを引用転載させていただきます。
( 昭和33年と言えば、makobe は6才のはなたれ坊主。
お読みくださっているみなさんのほとんどが、生まれる前?…
半世紀も前の、大昔の文献です。)
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日本列島(湊正雄/井尻正二著 岩波新書310 昭和33年刊) より
http://ktymtskz.my.coocan.jp/S/BB/retto0.htm
<よくわかる科学史>
日本列島の誕生 2 海から山へ ・グリーンタフ地域
http://ktymtskz.my.coocan.jp/S/BB/retto5.htm#2
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3 日本のアルプス造山運動 ・日高地向斜
http://ktymtskz.my.coocan.jp/S/BB/retto5.htm#3
上記サイトの文献より引用
『 〜 千島弧・本州弧・琉球弧をはじめとして、
アリューシャン弧−七島煎マリアナ弧などといった花綵(はなずな)列島の性格は、
すでに新第三紀のはじめに決定し日本列島の風貌は、
新第三紀の末には、ほぼ浮彫りにされたことはすでに見た通りである。
そして、我々は、日本列島の骨組みは、この時代に決定された、
という表現をしばしば使ってきたがこれによって、
日本列島の骨組みが、すべて、この時代にはじめて完成された、
と考えるむきがあるとすれば、それは大きなあやまりとなる。
むしろ、日本列島というビルディングの鉄骨は、さらに昔に組立てられ、 グリーンタフ地域に展開した新第三紀の造山運動は、この骨組みに肉づけをしたもの、と考えるべきであろう。
従って、日本列島の真の骨組みを知るためには、
さらに、いまから一億三〇〇〇万年ほどまえ、
中生代のジュラ時代の末葉にさかのぼらなくてはならなくなる。 〜 』
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・ 私はこの記述に同意なのですが、それがどうして…
「大きなあやまりの考え方」ばかりになってしまったのでしょうか。
大昔の科学者さんのほうが、ほんとうの姿が見えていたのかもしれませんね。
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