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の疑問がわいて、その部分を突き詰めて考え、可能性を考えてみた。
図: 昨日のグリンタフ図にさらに加筆
・ グリンタフと黒瀬川帯が交差している円で囲った「フォッサマグナ」地域に注目。
結論としては、グリンタフ活動より前に「黒瀬川帯の接合」があったと考えた。
< 理由 >
・ 25Maに海洋地殻の移動方向が北西から西向きに変わったことで、 東西に位置していた「東北北海道」が移動を開始、 25〜15Maで10Myかかって時計回り回転、 15Maに接合、その接合時の圧縮により「グリンタフ活動」がおきたと考えた。
それに対して、ほぼ南北に位置していたと考える「(古)黒瀬川帯」については、 25Ma以前に(海洋地殻の移動方向が北西だった時代)に接合していたと考えた。
・ もしそうなら、東北と西南日本の境界は「棚倉構造線」といえて、 西南日本から中央構造線と黒瀬川帯は、関東から銚子まで(後から緑で着色した部分)は、 接合以前からつながっていたと考えられる。
( 糸静線で、グリンタフ帯が島弧を南北に横断しているのは、 東北接合の応力が、糸静線フォッサマグナ帯に集中したことによると私は想像した。)
・ 「フォッサマグナ」の部分も、過去に円の部分は「糸静線」の西と東で、 「中央構造線から黒瀬川帯」までの地質帯が、東西にひとつながりだったと考えれば、 「フォッサマグナの中央部分にある、単独で首をかしげている、古い四角い地質帯も、 その痕跡なのかもしれない。
・ このように、日本島弧が250Maにいったん「ハの字に開裂」して、 その後25〜15Maに押し戻されて「接合」したと、変動が2段階で起こった…
とかんがえることで、これまでのたくさんの疑問点がほとんどが解決できてしまう。
( 全てが解決できるわけでなくて、新たな疑問も多く、つっこみどころも満載です。)
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参考関連日記:
グリンタフから、島弧接合時の移動方向を見る?
https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-306958
西南日本 「黒瀬川帯」の謎。
https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-299245
日本の島弧や日本海の地史「立ちふさがる壁」
https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-274011
△フォッサマグナ△ 地質解釈: 関東山地はどこからきたの?
https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-272777
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