図は、下記資料「消えたフェニックスプレートの謎」からの引用です
( 今回私が感動した、先生の末尾の言葉を紹介させていただきます。)
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サイエンスの舞台裏
—消えたフェニックスプレートの謎—* 高橋雅紀
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol6.no12_p383-389.pdf
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上記資料『おわりに』から全文引用。
引用: --------------------------------- ここから
『 昨今の自然科学界(academy of natural science)は過剰
な専門化が進行してしまい,そもそも何を目的として研究
を進めているのだろうかと疑問に思うことも少なくない.
研究者が某かの専門家として自立することは大切で,その
専門分野を深く追求することも,研究者の姿勢としては正
しいと思う.
しかしながら,専門の奥深くまで入り込み,
周囲の関連分野と自身の研究との関係について無頓着にな
り,ついには専門性を隠れ蓑にしているのではないかと感
じるのは私だけだろうか.
何かの専門家になるということ
は,他の分野については素人であることを意味する.
専門家は専門分野の中では居心地がよいが,隣の分野に出かけ
ると,全くの素人から始めるので居心地がわるい.
その結果,極端な専門分野の細分化がますます加速しているので
はないかと思われる.
昨今の業績至上主義は,その動きに拍車をかけていると思う.
研究に対するモチベーション(動機付け)は人それぞれ
で,研究の目的も研究者の数だけ存在することは自然だと
思う.
だから,研究者を何らかの外圧でコントロールする
ことは研究者にとって不幸であるし,長期的には日本に
とってもよいことではないと思う.
研究者が自らの自由意思で生き生きと研究しなければ,
“ 目から鱗 ”のすばらしい発見や新たな視点など見出せないだろう.
多様な考え,多様な興味,多様な研究スタイルが予想もしなかった大発
見に繋がるのは,大勢で 1 カ所をくまなく探すよりも,好
奇心の赴くまま各人がバラバラになって探した方が,宝物
を探し当てる確率が高くなることから容易に予想がつく.
日本の科学界が“ 一番(number one)”を目指すのか“
唯一(only one)” を目指すのか,そろそろ覚悟して考え直
す時期ではなかろうか.
技術進歩が著しい昨今,最先端と
かけ離れたアナログ模型や古典的な紙と鉛筆による思考実
験でも,サイエンスは十分楽しめるし,新しいアイディア
や視点を生み出すことも不可能ではないのだから. 』
引用: --------------------------------- ここまで
・ 専門家の先生だからこその言葉と思いますが、
長年研究してこられた先生でも「どうあるべきか」自問自答しておられる。
( 『 最先端とかけ離れたアナログ模型や
古典的な紙と鉛筆による思考実験でも,
サイエンスは十分楽しめるし,
新しいアイディアや視点を生み出すことも不可能ではない… 』
この言葉は、今の自分と重なって、勇気づけられ心強い… )
・ さて… 未来の基盤となる新しい視点を生み出した…
これから先どうしたらいいのか、どんなアプローチがあるか?
先の見えない笹の藪山につっこんで一人でもがいているような…
どこまでいっても悩みは尽きません。
高橋雅紀著GSI地質ニュースの「東西日本の地質的境界」を読みましたが、教科書のような書き方でなく、それまでの定説に対しての高橋氏の疑問や感想が挿入されていて、とても面白かったです。
脇道に逸れますが、筑波の産総研の博物館を訪問した時に、いろいろな質問に専門家からご丁寧な回答をいただきました。途中から自分以外の見学者も参加して結構盛り上がりました。
また○○博物館を訪ねたときは、専門家の方から論文までいただきました。
地学に興味を持つ人は極めて少数と思います。あくまでも小生の推測ですが、お会いした専門家の方々は、地学に興味を持つ人が一人でも多くなってほしいと願っているようでした。
脱線して申し訳ないです。
自分は東京在住で、上記のような機会を得ることができて幸運です。
・ 専門家の方と直接お話できる機会があるのは、すばらしく、
うらやましいかぎりです。
( 私も地学に興味を持ってからは博物館や図書館に行きますが、
最近は妻もつきあってくれて、一緒に見ることが増えました。)
・ 手探りで出口が見えないときもふくめて、この数年は楽しくて興味がつきません。
最近の日本の研究者は、研究をやる前から成果(落としどころ)を示し、それに至るプロセス(物語)を詳細に書かなければ、補助金を獲得することはできません。
大学の教授や研究機関のリーダーは、常に物書きに追われています。
研究に割く時間よりも、物書きに追われる時間の方が多く、何か本末転倒な状況になっています。
どんな結果がでるか、試行錯誤をすることによって初めて明らかにすることが研究と考えます。
そして、試行錯誤することによって、その研究のオリジナリティーを形成するものと考えます。
やる前から、結果がわかっていたら研究ではないと考えます。
もう少し日本は、研究者にもっと自由に研究できる大らかな土壌を与えて欲しいと思います。
そうしないと日本は、世界から取り残される危惧を感じます。
生意気な持論を展開しまして、申し訳ありません。
・ Swan_song さんのおっしゃるように
専門の研究者さんのほうが資金や時間の制約が多くて、
勝手に方向転換のできない、厳しい環境なのかもしれませんね。
( 前に「プレートテクトニクスの拒絶と受容」を読んだとき、
研究者さんが、発想の基盤を新しいものに置き換えなければならないときの、
大変さを感じました。)
・ 私のように好奇心だけが原動力の素人のほうが、
「お金」はともかく「自由に考える時間」だけはふんだんにあって、
ある意味、望ましい環境なのかもしれません。
… すみません、本の名称に誤字がありましたので、訂正しました。
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