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ところで、この「山鉾」とは巨大な山車(だし)のことだが、細かく言うと「山」が箱形なのに対して「鉾」は屋根がありその上に「鉾(矛)」が立っているものを言うらしい。
祇園祭の記事を読んでいたら、その中に「月鉾」という言葉を見つけたのでちょっと調べて見ると、
「イザナミノミコトが黄泉の国から戻って禊祓い(みそぎはらい)をした時、左眼を洗ってアマテラスオオミカミを、右眼を洗って月読尊(ツキヨミノミコト)、鼻を洗ってスサノオノミコトを生んだ。」という神話があり、月鉾はこの「月読尊」を祀っているもので、先頭部に新月型(みかづき)を付けていて、山鉾の中でも最高のものとされているらしい。
http://mirahouse.jp/kyoto/gion/tsuki/tsuki.html
http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/tsukihoko.html
この神話を読んですぐに思い出したのが八ヶ岳は横岳のピーク名のことだ。
「横岳」と総称されるギザギザの山並みのそれぞれに名前が付いているのだが、それらの由来はなかなか分からなかった。せいぜい「石尊峰」は「石尊=雨乞いの神」を刻んだ石碑が山頂にあるからだというのと、「三叉峰」は杣添尾根との分岐点だから、という程度だ。
「日ノ岳」は「日の神=アマテラスオオミカミ」を祀る碑でもあるのかという説があったが、それらしき石碑があったという報告も見当たらない。しかし「アマテラス」を意味する山名であることは確かのようだと思っていた。
そこにこの「月鉾」が「ツキヨミノミコト」を祀るという神話。
神話によれば「ツキヨミノミコト」は「アマテラス」と同じ親の左右の眼から生まれた兄弟ということだ。
「月鉾」の「月」が取れて「鉾」だけになったとしたらどうだろう。「日ノ岳」と「鉾岳」は横岳の中で隣り合ったピークなのだ。
祇園祭での山鉾巡行という形は室町時代にすでに現在のようになっていたそうだから、いつの時かその月鉾のことが遠く信州まで伝わっていても不思議ではないだろう。
日ノ岳の南隣には月を仏として祀る行事にちなんだ「二十三夜峰」もある。「ツキヨミノミコト」はその名の通り月(=夜)を支配する神だが、神仏習合(神も仏もごちゃまぜ)な時代であれば、同じ感覚で「ツキヨミノミコト」を山名として崇めたと考えられないだろうか。
私はいままで「鉾」とは槍のような兵器としての「鉾(矛とも)」だと思っていた。
山口耀久氏も著書「八ヶ岳挽歌」の中で「鉾岳は昔は鉾でも置いてあったのかも知れないが・・」と書かれている。
しかし「鉾」が祇園祭の「月鉾」のことだと考えれば、八ヶ岳の山名として「日」と「月」がセットで祀られていると推理できることになり、とてもしっくりするのだが・・・。
上写真左)祇園祭の月鉾
上図右)横岳周辺(日ノ岳〜鉾岳〜三叉峰)
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