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http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-609306.html
横岳は地味な山だが八ヶ岳では阿弥陀岳や権現岳よりも高く、赤岳に次ぐ標高第二の山だ。
横岳の標高は国土地理院の「日本の主な山岳標高」によると「2829m 標高点」とある。
「標高点」とは三角点ではなく、「地図を作るときに測量した点のことをいい、地図を使う人にそこの高さを教えるためにあらわしている」ポイントだということだ。
だが、横岳の標高点は主峰の「奥ノ院」ではなく、その南の無名峰がポイントされて「・2829」とある。
(上図左)
「日本の主な山岳標高」の横岳標高点の位置「北緯35°59′05″。東経138°22′25″」も、この無名峰で間違いない。
これを受けてのことだろうか、WIKIPEDIAの横岳の項にも、こう書かれているのだ。
「奥の院の山頂には2,829 mの山頂標が立っているが、これは最高峰である無名峰の高さである。」
上の地形図を見てみると無名峰は2820mの等高線に囲まれて、はっきりとピークの形になっている。ところがその北に進むと等高線は徐々に下る一方で、登山道が「く」の字に右に曲がる点の奥ノ院では2810mほどまで下がっているだけ。奥ノ院らしきピークはまったく描かれていない。これはおかしい。
奥ノ院こそが横岳の最高峰だと思っていた私は、このことが気になっていたので、先日の山行では三叉峰や無名峰に登頂してお互いの高さを確認、撮影してきた。
地形図では三叉峰の頂上にも標高点があり、2825mとある。
この頂上から無名峰方向を見たのが上写真(中)だ。三叉峰から遠い方の奥ノ院の方が無名峰よりも明らかに高い。
では2829mというのは奥ノ院の標高であって、無名峰の標高はそれよりも低いのだろうか。
写真をよく見ると、無名峰のピークは背景の水平線と思われる位置よりもやや高く写っていて、その差は3、4mほどあるように見える。
(水平線は遠景の北アルプス、白馬岳などから推測)。
これは「2825(三叉峰)+4m=2829(無名峰)」でつじつまが合うようだ。
また上写真(右)は無名峰頂上から奥ノ院を撮影したものだが、奥ノ院の方がさらに5、6m高いのがわかる。
だがなぜか、国土地理院の測量(地図)では奥ノ院は無視、または欠落しており、そのため無名峰が最高点だとされているようだ。
実際には無名峰よりも奥ノ院の方が高くて、その標高は2829(無名峰)+6m=約2835mほどもあるんじゃないだろうか。
上図左)国土地理院の地形図、横岳周辺
上写真中)三叉峰から無名峰、奥ノ院を見比べる
上写真右)無名峰から奥ノ院を見ると・・・
【2021/12月 追記】
2019年に国土地理院の地形図が訂正され、無名峰山頂の標高点は2826m、奥ノ院の標高点は2830mと書き換えられた。よって横岳の山頂はめでたく奥ノ院の位置となり、標高も1m高く改められた。
pasocomさん、おはようございます。
標高推定第3弾ですね。
奥ノ院のピークが地図に描かれていないのは気になっていましたが、やはり無名峰より高いのですね。
自分が横岳行った時は三叉峰ピークからの写真は撮っていなかったのですが、少し低い杣添尾根分岐からの写真では無名峰と奥ノ院が大体同じ高さに写っています。
国土地理院の地図も細かく見ると結構いい加減? でも奥ノ院のピークはしっかり入れて欲しいですね
おはようございます。
杣添尾根の分岐点は三叉峰ピークよりも10m以上低いでしょうね。
低い位置から見上げる角度で見ると、遠くのものほど低く見える。俯瞰で見れば逆に遠くのものは上になります。
幸い三叉峰の頂上はほぼ無名峰と同じ高さなので、カメラを水平にして撮影すれば実際の高さと同じように写るだろうと思ったのでした。
またなによりも無名峰の頂上から見ても奥ノ院の方が明らかに高い。
ですから「無名峰が最高峰」だというのは明らかに間違いですね。
あとは地形図の標高点が三叉峰も無名峰も両方間違っているか、ですが、これはあまり可能性がなさそうに思います。
おはようございます
ピークの名づけ親って誰なんでしょうね?
無名峰・・ちょいと悲しいピークですね
むっ!?無名塾のように「無名峰」が正式名称なんでしょうか??
でわでわ
こんにちは。
横岳は実にたくさんのピークの集まりですね。「奥ノ院」はもちろん仏教感に基づいた昔の命名でしょうが、「三叉峰」なんてのは、単に杣添尾根との分岐点というだけの「三叉路」みたいな命名ですね。でも三叉峰と石尊峰の間にはレコの写真のようにそれなりに険しい岩峰があるのですが、これらは無名ですね。三叉峰の北のピークも「無名峰」なのではなく「無名のピーク」だとおもいます。
「無名のピーク」が最高峰なんてこと自体が変な話だと思って気になっていたのでした。
こんにちは。
確かに幾つかの間違いが混在しているようですね。
私も昨年の冬に横岳を通過したときに標識の「2829」には戸惑いました。
このpasocomさんの日記を読ませていただき、私のもっている古い資料を見てみると、すべて横岳主峰(奥ノ院)の標高は2835mとなっています。 pasocomさんの推測どおりの高さです。
その資料とは、日本登山大系「八ヶ岳・奥秩父・中央アルプス」(白水社)、世界山岳百科事典(山渓、以下同じ)、日本の名峰「八ヶ岳連峰と蓼科山」、山渓カラー名鑑「日本の山」などです。
残念ながら昔の5万図や2万5千は紛失しているのか探せませんでしたが、1979年版の「山と高原地図」にも2835mと記載されています。ただし、その等高線はおおざっぱなのでピーク形状はよく分かりません。
いすれにしても、国土地理院の標高点という表記と等高線の表現には問題がありますし、山頂の標識も間違いですね。
とても有効な間違い発見だと思います。
コメントありがとうございます。
私も「日本登山大系」は去年、図書館で借りて読んだのですが、残念ながらその頃は赤岳より南の権現岳周辺ばかり気になっていて横岳の方は見逃していました。
私の記録によれば「大系」は1981年出版ということで30年ばかり前の本ですね。そこに奥ノ院=2835mとあったとは、驚きです。「山と高原1979年」もほぼ同時期のものですから、この頃はその標高で当然だったのでしょうね。
それがいつ無名峰2829mの方が高いなどということに変わってしまったのでしょう。
これは国土地理院に問い合わせる必要がありそうですね。
ともあれ、自分の推測が的外れでもなさそうで大いに励まされました。
貴重な参考情報をありがとうございました。
追記です。
昭和51年10月発行の2万5千分の1の地図が出てきました。現地調査は昭和50年8月とのこと。
余談ですが地図の境界部分ですので2枚の2万5千分の1の地図を貼り合わせてありました。
それを見ると今の地理院地図よりも岩峰っぽく奥ノ院の地形が表現されているような感じもしますが登山道と境界の表示がじゃまで判然としません。また、無名峰の2829の表示もなく、三叉峰の2825の横に今のような横岳の文字が縦書きされているだけです。
これらこことから逆に主峰(奥ノ院)の2835がどこから来ているのか分かりませんが当時は実質的な高さとして採用していたのだろうと思われます。
ただ、三叉峰の次が主峰(奥ノ院)と文章表現されている書物も多いので少しやっかいな感じですね。
ちなみに、日本登山大系を見ると無名峰はしっかり記述されていて主峰とは完全に区別されていますが、主峰を奥ノ院とは表現されておりませんでした。
余談ですが、当時はアイスや岩稜登攀のためにルンゼや岩や等高線が色分けしてあり当時の意気込みを久しぶりに感じることができました。
再度の情報ありがとうございます。
私の方もその後、自分の持っている過去の地図を探したところ、昭和38年(1963年)測量という地形図が見つかりました。
それは下記写真のように描かれていて、m_asaiさんがお持ちの地図の「岩峰っぽく奥ノ院の地形が表現されている」「無名峰の2829の表示もなく、三叉峰の2825の横に今のような横岳の文字が縦書きされている」のと同じのようです。これには明らかに「2835」と表記されていますね。
この地図には赤岳は一等三角点があるので△マークが付いていて標高も「2899」とあります。
横岳の標高も測量したなら、赤岳あたりから見下ろしたと考えるのが自然ですね。それはそう難しいことではなく簡単にできたこと、したがって精度もそれなりにあっただろうと思われます。
この数値がその後どうしてなくなってしまったのか。これが最大の不思議ですね。
2835の出どころは分かりましたね。さすがですね。
「日本の主な山岳標高」の調査概要を見ると2万5千分の1の地形図から判断しているようですね。
http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MOUNTAIN/1003zan_gaiyou.pdf
その2万5千分の1の地形図に横岳主峰(奥ノ院)のピークとしての地形が表現されていないので無名峰の2829の標高点を採用したということなんでしょうね。
これはやっぱりお手数ですが国土地理院に問い合わせていただいて2万5千分の1の地図の等高線なりを修正してもらった方がよさそうですね。
その後に現地調査ということで2835が復活するという流れになるのでしょうか。
横岳がちょっと泣いている感じがしますね。
再三のコメント感謝します。
ご提示のpdfファイルは目を通していたのですが、「地図から判断した」ということは読み取れていませんでした。それは現地には行かずに図上判断したということですね。いや、ちょっとずさんですね。
先ほど国土地理院にはHP上の「問い合わせ」から質問しておきました。
今までの例からすると数日のうちに返事が来ると思われますので、その時にはすぐにご報告したいと思います。しばらくお待ち下さい。
それにしても、これで横岳の標高が変わるならなんとも劇的というかあっけないというか・・・。
八ヶ岳第二の高峰なんですがねえ・・・。
たまたま、ある調べごとで古い地形図を取り出している時に、この日記を読みました。
昭和35年発行の5万図では横岳無銘峰の独立標高点の標高は2934mでした。三叉峰には標高点がありません。
ただ同じ時期のガイドブック・昭和36年初版のアルパインガイドでは2930mとあり、この根拠は不明です。
昭和50年測量の2万5千図で2829mに変わっています。三叉峰に標高が記されています。こんな接近した箇所に独立標高点があるのって、珍しくないですか。
ちなみに横岳の標高点は標石のない標高点ですか。これは空中写真から標高をm単位で読み取っていて、実測ではないようですね。
「八ヶ岳研究」もチェックしましたが、標高は記されていません。この本の趣旨からして、標高はどうでもいい問題なんでしょう。
題記とは別ですが、横岳主峰が奥の院と登山者に呼ばれるようになったのはいつごろからですか。古い登山関連図書では横岳主峰と表されています。
また古い地図を見ていてきづいたことに、赤岳鉱泉の位置が今と違っていること、鉱泉から赤岩の頭への登山道が今と全く違う位置、峰ノ松目沢あたりにあったことに気づきました。地図はそのように記されていますが、鉛筆で直しているので、当時は地図と現況との違いを知って登山していたようです。昔のことで、すっかり記憶に残っていません。
コメントありがとうございます。
古い地形図などを当たると史料ごとに標高が少しずつ違うことがあって悩みます。昔はさほど精度の高い測量ができず、適当だったんでしょうか。
三角点はずっと以前から同じ数値ですが、権現岳周辺でも相当違う標高のものがあります。
「標高点」というのをどのように決定しているのか不思議ですが、横岳はあのようにギザギザな山ですから特例としてごく近くに標高点を設けたのかもしれませんね。
三叉峰にしても無名峰にしても標石などは見かけませんので、写真測量での判断でしょうか。
「奥ノ院」という名前については、いずれ調べなければと思っているのですが、やはり修験者の命名ではないかと思っていました。この呼び名が最近のものであれば不思議なことですね。
赤岳鉱泉の位置については、山口耀久さんの「八ヶ岳挽歌」の中に、台風の土石流で流されて別の場所に建て直したという記述があったような気がします。
いますぐに読み直しても当該箇所が見つからないのですが・・・。
赤岳鉱泉の位置ですが、前のコメントに使ったガイドブックには下記のように書かれています。
「ここは昭和35年に立てられた新館で、15分ほど手前にある旧館は、まもなくとりこわされるとのことである」
地図には2120の場所に旧館があったようです。
今の登山道では、下から歩いて初めて大同心が見える橋の少し上ではないでしょうか。
再度のコメントありがとうございます。
赤岳鉱泉はいまは標高2200mあたりにあります。以前は2120m付近にあったのでしょうか。
であれば、昔よりも上の方に動いたのでしょうか。
「土石流で流されて」と読んだ気がしたのでもっと下の方に移転したのだと思いました。
山口耀久氏の本では、戦後初期の時代の話が多く、その時代はよかったという話が多いです。
私などは最近登山を始めたので、こんなものかと思うのですが、そういう方々からすると八ヶ岳も随分変わってしまったのだそうで・・・。
変わる前の八ヶ岳を見てみたかったものです。
山口耀久氏の本では、戦後初期の時代の話が多く、その時代はよかったという話が多いです。
・・・・
その時代がよかったかどうは解かりませんが、私の思う変化は山麓歩きがなくなったことです。山口耀久氏らの「八ヶ岳研究」や松涛明の「風説のビバーク」を読むと、駅から歩いていることが多いです。私の初めての八ヶ岳も小淵沢の駅から歩きました。西面のバリエーションに通ったころは農場から歩きました。単調で、時には辛い山麓歩きですが、この長い歩きが八ヶ岳らしかったと思えます。古い記録では夜に山麓を歩くことが多くみられ、地元民との接点等、いろいろな思い出ができたのではないでしょうか。
再三のコメントありがとうございます。
私も山口氏の本を読んで、aoiyamaさんさんと同じ感想を持ちました。
その頃はマイカーなど登山口まで行くなどということはなくほとんど鉄道(小海線)でアクセスしていたようですね。「小泉駅ルート」などはその名残でしょう。
歩く距離がいまよりとても長く、日帰りは無理ですから数日かけてあるいたり夜中に歩いたりしたのでしょうね。
山口氏はまた八ヶ岳周辺の民話伝説みたいなことにも興味を持たれていたようで、地元の人の話がよく紹介されています。
古い話を知っている古老も多かったのでしょう。たしかに一面いい時代だったようです。
こんばんは。
いや〜pasocomさんはよく気が付きますね。
私は全然気が付きませんでした。
何度も歩いてるのに。
「山と高原地図」に奥ノ院が2829mとあるので
全く疑っていませんでした。
これで推測どおり、2835mと修正される日が
近いかな?
おはようございます。
普通に歩いていれば奥ノ院のてっぺんに「横岳」の山頂標が立っているのですから、そこが最高峰だろうと思っていますよね。
なのに、ヤマレコの地名データベースではWIKIPEDIAを引用しているので、「無名峰が最高峰」という内容に違和感を持っていたのでした。
しかし一方、国土地理院でさえも無名峰の位置を横岳の標高としているのですから、やはりあそこが最高峰なのかな、それにしてはそんなピークだった記憶も無し・・・。とモヤモヤしていたのです。
今回それを思い出して自分の目で見てみればあっけない。疑問の余地なく奥ノ院の方が高いのでした。
八ツの第二の高峰の標高が5mも訂正されることになったら、なんとも大事件ですね。
「山と高原地図 2014」を確かめましたが、これには確かに奥ノ院に2829mとありますね。これはおそらく山頂標を鵜呑みにしたのでしょうね。
https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41160.html
https://maps.gsi.go.jp/#15/35.985833/138.372778/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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