山岳部OB会の、年に二度の会報の編集担当をしている。1937年入部、94歳の今村先輩からの手書き原稿を校正している。
日高のペテガリ岳の厳冬期初登は1943年1月。1940年には雪崩事故で8人の先輩が犠牲となっていて、なんとしても仲間の手で登りたかった。そしてもう戦争が激しくなり山どころではなくなるぎりぎりで成し遂げた。コイカクシュサツナイ岳のイグルーから往復14時間のアタックだった。その時の一人が今94歳。彼のその後戦死した同期の友人、住宮氏の追悼文。この二年前の1941年5月、二人で同じルートを往復、厳冬期成功の前哨戦としてペテガリの積雪期初登を果たしたが、その4年後、彼はフィリピンで戦死した。
剛胆な住宮氏の日高での単独山行の食料が、麺28束で19日間の単独行。下山後、ひどい便秘で「キジ撃ちに2時間半」などの話が、一気に親近感を抱かせた。今で言えば棒ラーメン40本男。(参考↓)
http://www.yamareco.com/modules/diary/826-detail-8735
同じ日高の山に青春を捧げた身として、時代を飛ばして身近になる。
住宮氏からの私信
「・・山と山仲間との生活が俺の心を純にしてくれた事が今更の様に感じられる。軍隊では純一無雑の心がどんなに尊いものかは君にわかると思う。俺達は何時までもあの山に浸りきる心を忘れたくないと思っている。お互にあの頃の心で頑張ろうではないか」
山の会会報への戦地からの消息
「当分の間、若しかすると永久に北海道の山は、思ひ出になって仕舞ひそうです」
70年近くも前の友人の追悼をどうしても書いておかなくては、と寄せられた原稿。今村先輩も駆逐艦での空襲を生き残り、いまも診療に当たっている現役医師です。
はい
山はほとんどの単独登山のため、わかりませんが
職業では 先輩方のノウハウを引き継ぐと事が
できます。本当に100年のノウハウを気持ち的に
引き継ぐことが出来るのです。(膨大なデータと共に)
先輩(歴史)に感謝!!
僭越でしたら ごめんなさい。。
今村先生から当時のいろいろなお話を聞かせていただきました!
今なお現役で診察され、
探究心旺盛な日本全国を旅する御仁。
ちょうど今も札幌へ行かれているようです。
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