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聞き流していたのですが、明け方ウトウトしていたら、よく似たたとえが浮かんできました。
80年代なかばまでの歌は、例えれば、手作りのトマトをかごに乗せて売っていたようなもので、かじれば旨い。百姓の魂や、土や太陽や風の総合芸術は言葉もいらずに旨い。しかしそれ以降の音楽は例えればコンビニに売っている商品のようなもので、上手に包装され安心安全な手間が込められ、お客様におしかりを受けるようなものはすべてピンセットで取り除いたトマト味スナックやトマト味飲料のようなものだろうか。お上手だけど響かない。却って海外なんかで虫でも入っていたほうが愛着を感じる。
90年代くらいから、日本の歌や欧米の音楽に飽きて、メキシコやアラブや東欧の、路上演奏を勝ち抜いてきたような汗臭い演奏家の音楽CDを探し始めたことを思い出しました。欧米音楽は結局いまは80年代以前のものしか聞いていません。
国産でずっと聴いていたのは忌野清志郎ですが、くだらないことも、人が引くようなことも、真っ正直すぎる愛も、70年代から一貫して歌いたいことだけを手作りで歌っていました。大物だから発売禁止にされても自作で出したりして。初期に干されて売れなかったどん底時代があったから何も怖くない、芸もどんどん磨きがかかっていきました。
今年も間もなくトマトの季節。ハウスで青いうちにとった流通向けトマトと、天然とりたてトマト売りのおじさんの味は別物と知っています。トマトだけは夏以外買いません。
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