|
|
松本深志高校の1967年西穂高岳落雷事故50年の追悼登山で先日生還者たちと一緒に登ったので、当時発行された追悼の遺稿集をこのお店で買い求めました。少し前、このときの生還者のセンパイと、このお店の話をしていて、ご主人が高齢化で店をたたむ準備をしていると聞いたので、慌てて来ました。
奥様にお話を聞けば、すぐというわけではないけれど跡継ぎはいないし、たたむ準備はしているとのこと。このお店、大手町では最も古い建物で、落城は悲しい。なんとか何かの形で残してほしいものです。何かの形で建物を残していければとは話していました。
話してみれば奥様は、僕の実家の近所がご実家で、昭和37年にここにお嫁にくるまで、なんとウチのオヤジ一家が戦後住んでいた安原町の紺屋の本家の土蔵の数件隣の米屋が実家だとか。聞けばオヤジの弟、壮一おじさんとは小中学校で同級だったことが判明。あのころは商店街賑やかだったねえ。東京オリンピックの頃は本当にみんな幸せにくらしていたねえ。なんて話をしました。僕は東京オリンピック年生まれなんですが。
跡継ぎが居なければ名店もなくなってゆきます。先日も閉店カレー屋のことを書きましたけれども。しかし、たたむ支度を始めるというのは尊敬できること。人生の後退戦は、最も難しいのでござる。馬場美濃守信房。
青翰堂もやがて閉店ですか、まさに諸行無常ですね。
あの建物は何とか残って欲しい気もしますが、オサレなカフェとやらに代わっても、何だかなぁ・・・です。
観光の人がぞろぞろ通る立地です。そこに古書店があることに意味があるんですよね。右も左も観光風飲食土産店ばかりなので、そんなお店はもう結構という感じです。
以前、上高地周辺山歩きしてついでに松本まで歩いた時、街中で見つけて、エラく目立つので引きつけられて店内覗いたことありました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-140052.html
そうですか、閉店しちゃうんですか・・・
また、昭和の歴史が一つ閉じられていくんですねぇ〜。
タビオさんのすごい記録ひさしぶりに読み返しました。最後に野麦街道歩いて松本くるなんて、女工さん以来じゃないでしょうか。
「また、昭和の歴史が一つ閉じられていくんですねぇ〜。」と聞くと、「明治は遠くなりにけり」といって嘆いていたじいちゃん世代の思いがようやくわかります。ひとごとで聞いていましたから。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する