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ちょうど今週はですね、武田軍が諏訪頼重を滅ぼして諏訪の方を側室に、というかなりの山場。父の仇の側室になるなんて、姫も信玄も何考えてんだか現代社会人には意味不明でしたが、物語というのは大したもので、筋を追っていけばそれなりに納得。「私たちは一人の男と一人の女ではない。国と国の関係なのだ」なるほどなあ!
主役の勘助は昨年の真田丸で家康をやった役者、武田に破れ切腹した諏訪頼重は同じく豊臣秀吉をやった役者で、10年の歳月も感じました。昨年同じ時間帯に再放送していた30年前の大河「武田信玄」は、同じ大河でもまだドラマ技術が古くて、今の時代に見るのはちょっときつかったです。役者の顔のアップばっかりなんだもん。
この後ドラマは信玄の信濃侵攻が進むのですが、僕は深志(今の松本)周辺の守護大名小笠原氏や土豪たちの築いた山城跡や旧館跡を巡っています。住宅街で変わり果ててしまったところも、川と山の位置は変わらず、なるほど城を築くのは地形次第だと納得する次第です。林城、広沢寺、井川城、犬甘城。おいおい塩尻峠合戦場、埴原城、平瀬館跡、小岩嶽城、山家城、伊深城など。どれも盆地を囲む、地下足袋で30分で登れる山ばかり。
信濃は確かに信玄軍に放火、略奪、拉致と侵略されたのですが、今の松本城の総堀の場所に平城を築き、掘割、土塁をして縄張りを決め、女鳥羽川と薄川の流れを変えて、経済都市を築いたのは、他ならぬ武田信玄で、ここ深志城に何度も訪れて北方の前線に向かっていたのを今更ながら知りました。
来週夏休み、山ではなくてくそ暑い甲府の家族のところで過ごす予定なので、甲府で訪ね忘れた頼重切腹の東光寺でも訪ねようか。
http://www4.nhk.or.jp/P266/
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