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大切な人を失い、暗い闇に旅に出て帰還する話。
登山愛好家の読書評としては、騎士団長がまりえを励ますセリフが心に刺さりました。
”騎士団長は目を細めてまりえを見た。「よく耳を澄ませ、よく目をこらし、心をなるたけ鋭くしておく。それしか道はあらない。そしてそのときが来れば諸君は知るはずだ。おお、今がまさにそのときなのだ、と。諸君は勇気のある、賢い女の子だ。注意さえ怠らねば、それは知れる」”(第二部・61節P487 )
これだよ、登山中の大ピンチのとき大切なことと同じですよ。慌てず、五感を研ぎ澄ます。生存のヒントはこれしかないんだよね。
「私」が暗い世界を延々進んでいく場面は正に力量限界ぎりぎりの山行をしているときの状況とまったく同じ。です。登山愛好家が読めば。
「私」は、富士山の洞穴のような暗くて深い穴の中を這っていき、損なわれたものを回復する。富士山信仰でも、この胎内潜りは、生まれ変わりの行として行われている。深くて暗い穴に入っていく時の気持ちは、特別なものだ。富士の洞穴、乾徳山、北海道の洞窟でも狹い狹い横穴に首を突っ込むときは、悪い夢のようでした。
とても些細で愛らしい比喩を例によって散りばめながら、強い流れで話はどこかへ流れていき、相変わらず読みやめることが出来ません。
「私」の死んだ妹も、まりえも13歳。13歳の少女が、カトマンズのお寺で神様とのつなぎ役である絶妙な年頃だったのを思い出しました。
うちの娘もいま13歳です。同級生の13歳だった女たちを思い出しました。
「その作り方を目にしたら、全国の主婦がきっとため息をつくことだろう」(p401)という完璧なオムレツをメンシキさんが作ったくだりに影響を受け、僕も念入りなオムレツを今朝作って、お腹をすかせた妻と娘に提供しました。同じく、「素早く上手な包丁さばき」でりんごをむいたところも真似して妻と娘に提供しました。たいへん喜ばれ、褒められました。うちの女たちは、全く褒め上手。
今回も読んでいて聞きたくなったのはドン・ジョバンニ、薔薇の騎士、青髭公の城、ナッシュビル・スカイライン、ザ・リヴァー、ラインの黄金でしょうか。CDでなく、LPで。CDだけどドン・ジョバンニは何と言ってもこのところ毎晩聞いています。ドンナ・アンナとドン・ジョバンニは主役なんですから。
今週末の甲府帰りも新品洗濯機搬入、引っ越し屋の下見応対、スバル・プレオの壊れた後ろランプ取替、食料灯油買い出し、作り置き野菜作り、娘の学級閉鎖で学校へお迎えに続き体調悪化で医者付き沿いと、右手故障中の妻に代わりたくさんの家事をこなし、豪雪足止め一歩手前で帰りました。
妻と娘は怪我&インフル疑惑で、もう籠城態勢です。「ベルサイユのばら」全巻を枕元に積んで、読み始めました。こんな週は、不要不急の外出せず、布団で漫画が正しい。
きょうの中央線の車窓はまるで北海道でした。冬がふさわしく猛威を振るう一週間、歓迎しています。
会社のマルキストじゃなくてハルキストから昨年の5月に借りて読みましたが、氏の作品で初めて退屈を感じさせる章がありました。
それは四角い穴から入り、丸い穴に辿り着くまでです。
残念ながらyoneyamaさんの感想には至りませんでした。
マークウェインが「ハックルベリーファンの冒険」の冒頭で語る「してはいけないこと」をついやってしまいます。
「1Q84」に通じる部分もありますが、後日談的な章があるのが意外でした。
相変わらず非常に読みやすい文章でした。
埴谷雄高は少し見習いなさい。!(笑)
薄暗い森や川や洞窟を延々彷徨するところですよね。普通の人には退屈なシーンかも知れませんが、登山愛好家としては、よくぞ「退屈」を顧みず書いてくれたと思います。多分登山をしない村上氏がここまで山でやばい目にあった様子を比喩的に書き込んでくれることに感謝していますよ、僕は。延々あるきながら、何かのことを考えなくてはと思って、いろんな具体的なものごとを思い返すあたり、日高の林道暗闇6時間歩きのときなどよくやりました。
あの些細な具体例を共感できるかどうかが村上主義者の分かれ道かも知れませんね。
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