30歳や25歳の同僚と話すのに、「今はずいぶん変わった、驚いている」という世のこと様々に対する感想をうっかり言わないように気をつけたい。仕事のやり方、仕事の常識、御法度なこと、これは緩やかに、あるいは急速に変わって行く。ルールが変わってからゲームに参入した彼らにしてみれば、さして歴史的変遷に対して興味は無く、なんども聞かされれば「また言ってる」と思うのも無理はない。みな、私が仕事を始めた頃以降に生まれた世代なのだ。
仕事でも欠かせない最新通信機器(スマフォやリモート用アプリ)の扱いでわからないことを、彼らに気軽に聞くのも考えものだ。簡単に解決してくれるからと丸投げでやってもらうのは論外だが、そのたびにやり方を何でも聞くのも控えた方が良いと思うようになった。褒めるつもりで「若い人は凄いね」等と言ってみても「日本語上手ですね」と言われるようなもので滑稽だ。率直に教えてもらえて、安心して手際に感心してよいのは娘くらいだ。うちの娘(16)なら同情してくれる。なぜなら世の中が変わる前のお父さんも間接なりに知って居るからだ。
頭では判っているのだが、ついうっかり感想とボヤキを漏らしてしまう。それを軽い話題や雑談でも口にしないよう戒めるのが、ここの所の課題である。なぜかと言えば、相手が面白がっていないのが判るからだ。
以前、田舎の乗り合いバスなんかでちょっと話した知らないばあちゃんが、よくミカンやヤクルトをくれた。最近、若いやつに時々ミカンをあげている自分に気がついた。年配者にできる若者支援は、ミカンを配ることくらいである。今になって、老婆の気持ちがよくわかる。若い人たちも、30年後には知るだろう。
yoneyamaさん、こんばんわ。
時代が変わったと言えば、、それまでですが、
うちは若いのがいないので、、よかった。。
今日も、、細かい字が読めないだの、
立ち上がるたびによっこいしょういちだの、、
下らないオヤジギャグも気にせず発せます。
(*´▽`*)
やまねさんとこは若いのいないんですね。同世代の安心感というのはどの世代にもあるもんですが、少数派になるといろいろ考えますね。おしゃべりなたちですが、気を引き締めます。
そうなんだよね〜・・・
自分も年を取って、気づいたことたくさんありますよ、昔の傲慢な自分が恥ずかしい・・・
昔のゴーマンな自分、自分だけは憶えていますね。周りの人も憶えているだろうなあ。しかし、80超えると再び別のゴーマンになるのを、先輩世代が見せてくれています。なにかと参考になるんだよね。センパイたちは。
働き出した頃、会社の先輩に「戦前に生まれ育った10年20年上には注意しろ!戦争や食料不足で心がねじ曲がっているいから」と注意されたことを覚えています。誰でも歳を重ねると悪しき習性が沁み込んで、時として害毒になってしまうのかもしれません。なので、育った土壌の違う世代(特に若い世代)には、特に心して害毒にならぬよう心掛けたいものです。
ヤスジさんはそうすると、団塊の世代って感じですね。昭和ひとケタ世代は僕の親の世代です。戦争で飢えた世代だから、心もネジ曲がっているけど戦争だけは大嫌いですね。これまでの日本はその世代が不戦反戦で築いてきたんですが、「戦争を知らない〜子供たち〜さ〜」のぼくたち世代はいま、戦争しないように気をつけなければと思います。ともあれ、違う世代という他者は、なめてかかってはいけませんよね。
私は団塊世代の少し後の世代(戦後ベビーブームの最高出生数だと思う昭和25年とすると)です。戦前戦中幼年時代を過ごした世代でも人によってねじ曲がっていない素敵な人は沢山います。私の周りでは、加害者意識を持った人より被害者意識の強い人がねじ曲がった人が多かったように、意外ですが個人的には思っています。山でも、山岳部のような集団になると、弱い者ほど他者への配慮ができなくなってしまっていたように思います。強い奴でも下とみるや、いじめる奴も多いのも事実で、情けないですね。運動会に親も子供も自然と熱狂しますが、知らず知らずに競争社会へ適応した考え習性を身につけていくように思います。このような小さなところから、個人の考えから、競争(優越感)が齎す格差と差別を失くしていかないと戦争がいつ起こっても不思議ではありません。
世代の変遷という話に戻すと、今の若い人たちは、過剰な競争から緩やかに離れつつありますね。運動会も順位つけず、受験競争も不登校でパス、ハラスメントには正当に抗議と。政権批判も団塊組ほどしませんが、好戦的だった前世代とはかなりムードが違い、おもしろいです。
yoneyamaさんのこの記事をPCで見ながら、果たして時代はそんなに変化したのだろうか? 自分は時代についていけてないだろうか? と考えてみました。
今、私は、もう家にはいない長女の勉強机に座って、FMラジオを聴きながら、ノートに山の記録を書いているところです。
机の上にPCがあることを除けば、受験勉強をしていた約45年前と、あまり変わった感じがしないです。
45年前になかったものはPCとスマホですが、PCは会社時代約35年は使っているので、特に違和感ないですね。スマホはさすがにこれほど急速に必需品になるとは思いませんでしたが、便利に使っています。
私の子供の頃(小学生の頃)、21世紀には、空飛ぶ自動車が飛び回ったり、気軽に宇宙旅行ができ、月には大都市ができる時代になると、夢見られていました。スマホよりもスマートなウエアブル端末もアニメには登場していました。
SFが好きだった私から見ると、なんだ21世紀って大したことないな、という気もします。(あくまで個人の感想です
変わったのはまず、スマフォです。限りない機能を彼らは誰に教わるでもなく、世代の近い人との頻繁なやり取りでまたたく間に吸収します。電車でみんなスマフォやってらあと思っていましたがあれだけやっていれば住む世界も変わります。
もうひとつ大き変わったと書いたのは、世の許容力です。コンプライアンスとポリティカル・コレクトネスとリスク管理で、仕事のやり方は完全に要注意になっています。そういう息苦しさを、ルール変更後にゲームに参入した人たちとは共有できない苦しさがあるのです。
yoneyamaさん、いつもコメントへの丁寧な返信、ありがとうございます。
改めて考えると、インターネットとその端末であるスマホ(その前はPC)の出現は、20世紀の時代には誰も予想してなかった情報大革命ですね。
このコメントを書いているように、ネットがなければ一生会うことがなかったはずの人とやりとりができるのは、電話機の出現より更に大きな社会的変革ですね。あと、個人が(マスコミ)情報の受け手だけでなく、発信側となったことも革命的かなと思います。
社会での暗黙の制限が増えてきた感じがするのは、yoneyamaさんのお仕事との関連が大きいような気がします。が、ちょっとしたことが、社会的炎上事件になるのも、ネット社会の一つの側面かな、とも思います。
(あ、このコメントへの返信は、無くてけっこうです)
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