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この秘境に惹かれて35年の中村保氏の地図&写真集を手にしました。書評は以下に書きました↓。
http://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/AACHBlog/details.php?bid=807
書名の三江とは
●揚子江(長江)上流部名・金沙江(チンシャジャン)→東シナ海(上海)へ
●メコン川 上流部名・瀾滄江(ランツァンジャン)→南シナ海(ベトナム)へ
●サルウィン川 上流部名・怒江(ヌジャン)→インド洋(ミャンマー)へ
+更に1本の
●イラワジ(エーヤワディー)川支流の独龍江(ダロンジャン)→インド洋(ミャンマー)へ
ですが、どれも下流部と源流部で名前が違います。流域各地でつけた川の名前はやがてどっちの立場が強いかで淘汰され、1本化していくのでしょうから、本来川の名前は一つではないし、どの支流が本流なのかは詳しく調べなければわからない。
エーヤワディー川はミャンマーの最高峰カカポラジが源流とされているけど、その支流、独龍江をGoogleマップで辿っていくと、もっと北から来ているようにも見える。
1970年代の日本での地理学習では、東南アジア三大河川はメコン、メナム、イラワジとおぼえたけど、いまは、メコン、サルウィン、エーヤワディーとのこと。
メナム川はチャオプラヤ川。メナムとはタイ語で川のことだったので。それにタイ国内の比較的短い川だから三大河川はサルウィン川に変わった。サルウィン川は長いのだけど、ミャンマーのヤンゴンではない端っこ(モン州モーラミャイン)が河口で、途中も大きな街があまりないから注目されていなかったのか。イラワジ川はミャンマー現地語に即してエーヤワディーに改称した。ミャンマーは1987年クーデター以降英語風地名をビルマ族音に変えているため。
この本には名も知られない鋭鋒がギュインギュインにそそり立つ姿が写真で多数紹介されている。
昨日はほかの原稿を書こうと思っていたのに、1日中この写真集と地図集成を見ていた。幸福です。
千曲川(長野県)ー信濃川(新潟県)はどうなのでしょうか? 以前から気になっていました。
「信濃から流れて来るから信濃川」、なのでこれは越後側の呼称です。大河は一般に河口での呼称が人口も多いし優先になりますよね。川の名や民族名は自称ではなくて、他称が残ることが多いです。チクマ川は長野盆地からみて上流部チクマ郡からくる川という呼び名と思うのですが、
左股の千曲川は筑摩郡ではなく佐久郡小県郡(八ヶ岳の東側)から、右俣の犀川は筑摩郡安曇郡から流れてきますから、このチクマ川の名は、本来右俣だったのがなにかの間違いであっち(左股)に行ってしまって、字も変わったのだと思います。「クマ」という名は阿武隈川、球磨川、熊野川など、狭い峡谷をクネクネする地形をさす共通語ですが、千曲川にはなく、犀川にはあります。
サイ川の語源は西川(西股の西)ではないかという説を何かで読んで出典は忘れました。龍の子太郎伝説の龍はここでは犀で、それに引っ張られて名を変え、左股はチクマ川左(東)股だったけど筑摩じゃないから字を変えたとも考えられます。
新潟県では信濃川を延長367kmとし日本一の大河としていますが、延長は長野県の分も含んでいるみたいです。
都合の良い算出ですね😃
坂東太郎利根川は谷川岳付近を源流として、実に多くの一級河川が合流したり分流したりしながらも銚子犬吠碕まで「利根川」の金看板を降ろしていません。途中江戸川にも分流しているから「江戸川」でも良かったと思うのですが、そうはならなかった。片や信濃川は長野の栄村道の駅を境に、新潟に入った途端突然千曲川から信濃川に変わってしまいます。そこに大きな川の合流や分流はありません。国土交通省の看板もきっぱり区別されています。おもしろいですネ。(蛇足)わたしの女房のふるさとは新潟魚沼で何度も国道117号を走ったことがあります。ある時「変だな」と思ったことがありました。
信濃川を延長367kmというのは、千曲川のほうかな?犀川の方かな?犀川なら高瀬川かな梓川かな奈良井川かな?
一番遠いところはどこなのかは、詳しく測量できる現代でないとわからないですよね。
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