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日に一度は私には予測不能な編集ソフトの大容量データ由来の不具合や時間のかかる修復に苛まれ、もしかしたら間に合わないかも知れないという心的圧迫もあった。まるで継続登攀のような毎日だったのだが、苦しいだけでもなく、楽しかったから続いた。登攀と同じだ。
三度のメシはすべて自作、食材からの調理だった。というか生涯ずっとその方法で来たからできた。調理30分補食15分。
出来合いの調理品や外食では、淡々と安定して進めることはできない。食を自分で組み立てられる力は、こういうときにこそ本当に大事だと思った。
葉菜は切るだけ、根菜は蒸すか弱火で蒸し焼きするだけ。少しの塩や酢で十分うまい。それと間断なく仕込まれるぬか漬けだ。保温調理した青豆おひたし。玄米めし。
期間中、猟で獲った肉塊を持ってきた伊豆の後輩の猪と鹿の肉が、また少しずつ食べるのに適していた。肉は半解凍の硬さのとき薄く切って塩麹につけてある。毎回消しゴム1個分ずつ食べるだけで十分だ。シシの油は1センチ角に切って弱火で鉄パンの上で焼くと、結構な油になる。これもチャーハンやラーメンスープになる。肉はケモノ臭がほのかにするが、普段流通の養豚場の肉がいかにクリーンに食べやすく仕上がっているかを知る。油もスジも取り除かれて。固くて食えない肉って国内では1970年代の給食が最後だった。
生涯を思い返すと、卒業論文の半年間も研究室で自炊体制を確立していたし、数ヶ月のヒマラヤロケ取材でも毎回BCでは自炊体制を確立していた。長期出張でも単身赴任でも、完全にその準備には念を入れていた。飯を食い終われば次の飯の仕込みを考えていた。食い残しを出すこともなかった。
メシを食うために生きているように思う。
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