甲府、日野春から甲斐駒に登れば、講で登る信仰登山の一派がいて、その様子に惚れ惚れしたり、日本で手に入る桃の缶詰は安くて、行動食に最高だとか(一押しは信州小諸の塩川産)、写真も多い本です。
ウエストンはパイオニアだから有名ですが、第一次大戦前の人間疎外時代の始まった近代欧州世界から、幸せを求めて東洋の果てまできて登山旅行をした外人は何人かいたのだろうなあ。
100年前の松本の女鳥羽川添いの宿に泊まって、撮った写真に戸谷峰が映っていました。朝、城山公園の丘陵まで歩いて行って常念岳方面を眺めた様が書いてありました。
私自身の初めての海外旅行は1986年ネパールの山間村落徒歩旅行3か月だったけど、その時に目に入る異文化が何でも面白く、詳細に記録した様子を思い出しました。ガイジンは、自国人が当たり前すぎると思って書かないこと、書きたがらないことを書いてくれるのでとても面白いのです。
前々回に紹介した「森林飽和」と云う本にもありましたが、この時期の日本の山は、森林の薪炭エネルギーだけに依存して近代化を果たしてきた史上最悪の時期でした。山々は丸禿げで、山体崩落による土石流の大災害は頻繁に起き、山道も、大きな川にかかる重要な橋も、毎年のように流され崩落していたとあります。昔は薪炭エネルギーでつつましく再生可能な循環をしていたと思っていたのは幻想でした。
図書館の新刊コーナーにありました。
日本山岳紀行 ドイツ人が見た明治末信州
w.シュタイニッツァー / 安藤勉訳
2013・10月刊 信毎選書
yoneyamaさん、興味深い本のご紹介、
ありがとうございます。
近くの図書館のHPで検索したら蔵書にありましたので
次回借りたいと思います。
さくさくさん
訳者のセンスなのか、文体がヤマレコっぽい感じです。活字大きめで読み易い本です。
>初めての海外旅行は1986年ネパールの山間村落徒歩旅行3か月
初めての海外でこれは相当刺激的だったでしょうね。
なんか毎日楽しくて楽しくてあっという間に過ぎてしまったこと想像できます。
ネパールは通常の観光ビザが2週間だったと思いましたが、やはり特別なビザで入国したのですか?
たびおさん
このときは山岳部のセンパイで博物館の植物研究者の人が、ヒマラヤで植物採集旅行調査にいくから給料無しでの助手求むというのに付いて行ったのです。当時はコジキ学生一人分の飛行機代くらいなんとかネジ出したのです。今なら世間に責められそうですけど、昔の事です。そういう恩返しは直接はできませんが、次世代に別な形で恩返ししていかなくてはと思います。
研究調査だから手書きのビザでしたよ。ネパールは2週間なんですか。ヒマラヤへ行く時はいつも2週間では済みません。
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