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僕は有名ではない山の稜線からの下りなどにときどきそういう集落に降りる沢や尾根をわざわざ選んで計画を作ります。知らない人が通るのが珍しいところだから、大抵会う人には挨拶をして、もしヒマなら話もつきあってもらいます。若い人は大抵いませんから、いずれ滅び行く風景だとおもうのです。
報道では、孤立集落で救助を待っている人や助けられて感謝している人が(選んで)報じられます。高齢者で心細い人や病気、障害を抱えている人は、安否確認の電話だけでも有り難かったという話も聞きました。これは確かに必要なことで、その努力をしている皆さんに感謝です。
でも、一週間ぐらいの孤立でも、平気な人は結構たくさんいたのではないかな。そういう離れ島のような山間集落の人は昔から食べ物は多めにおいているだろうし、燃料を薪炭でまかなう方法も、水を雪から作る方法も長けているだろうと思います。避難所に行く理由が無い人は多いのではないかな。
都市(地方都市も)に住む人は、車が二日間運転できなかっただけで凄く慌てて、車が通れるようになったとたんに乗り始めて大渋滞になっています。あの歩行者天国だった、僕にとっては夢のような二日間を皆すっかり忘れてしまった。そういう都市の視点とは違う見通し方があると思います。
山でもそういうことがあります。悪天で連絡が取れないと、いまどきは遭難扱いになるけれど、むかしは山で連絡が取れないのは当たり前で、悪天の時は雪穴で寝ているものでした。「悪天候で山登り」などと責められますが、春先に一週間も登っていれば途中に必ず悪天周期はあり、それを見込んだ話なのだということが伝わりません。
昔の仲間の話で、気象遭難続発のお正月休みに、剱八ツ峰登って日程内で無事下山途中だったのに県警ヘリが来て、雪崩が危ないから乗れ!と言われ、仕方なく乗ったら世間では遭難救助扱いということもありました。周りで遭難が多いと、まともにやってても警察や世間にとっては一緒です。
山梨県内は道が通れるとはいえ、車線減少、雪塊残留で道は大渋滞です。車で来るならまだしばらく遊びに来ない方がお互いのためですよ。
こんにちは。
確かに生活でも登山でも「余裕」というものが感じられない昨今ですね。昔からの発酵食品などの保存食もそうした背景で生まれたもんでしょうね。
昔の冬山合宿にしても予備日を必ず2日ぐらい入れていました。吹雪の日は沈殿で一日中テントの中でトランプをしていました。
それにしても山梨の大雪は現地の方々のご苦労をお察ししますが、これだけ降らせた大雪のメカニズムを知りたいところです。
ミュレンさん
いまはお年寄りといえども昔のお年寄りと違って、今時の人なんだなあ、と思う事がすごく多いです。若い時から現代安全社会で便利に過ごしてくれば、発酵食品もなにもしりません。朝はパンとコーヒーみたいな老人も結構多くて、自分でパンの発酵できなければ、困るでしょうね。
大雪のメカニズム、先日の谷川さんが書いていましたね。何十年ぶりかも知れませんが、今後は起きても珍しがれませんね。
東京でも孤立集落の名前は、登山口でお馴染みで、登山者の方は耳がぴくぴくしていると思いますが、世の中が、車中心になっているのが、いざと言う時に、対処できないようでは困りますね、個人的には、 少なくても歩いて帰る体力だけは維持しておかないとだめだと思います
あらげんさんくらい孤立集落山行をやっていると、孤立集落とくれば目に浮かぶ集落が、ふられた女の数くらいは浮かぶのではないでしょうか。こんど行った時、「大雪の時、どうでした?」と話しかけてみましょう。
そういえば大雪の関連で富士山での遭難救助が一件ありました。五合目周辺登山の登山者なのですが、馬返しまで大雪ラッセルして降りて来たら車が埋まっていて、中茶屋までラッセルして降りて来たのですが、そこで力つきて救助要請したそうです。たしかに驚いたでしょうが、そこまで来たならもう一踏ん張りして浅間神社まで・・・来たら、富士吉田市内のあまりの大雪に更に驚いた事でしょうけど。下界がタイヘンな時の山岳救助要請はやはり余計な仕事でしょう。でもこういうときに、地図を持っていて、自分の計画を把握していたら、どのくらい歩けば帰れるかわかりますから、多分救助要請なんてしない気がします。
子供の時はそんなようなとこで暮らしていて
冬の前には屋根に丸太を載せたり、
トイレ(外にあった)まで雪かきしたり、
今みたいなスーパーとかホームセンター的
お店も無く大家族だったのに
よく暮らしていたなぁ、と
大人の苦労(?)いざ知らず、雪で遊んでいました。
今の私にはできないでしょう。
さくさくさん
離れの便所!ありましたか。こどもなら雪より夜オシッコ行く方が怖かったズラ!
yoneyamaさん こんにちは
私の71歳の知り合いの方が、2/15(土)都内でコンサートがあり、その後2/20(木)に南アルプス市に帰宅しました。帰宅後も庭の除雪をしなければ車庫へも入れられず、大変な20mになったようです。
人は、ある程度予期せぬ社会や自然の中で生きる力を個人的に養う必要があると思うのですが、全国一律の行政からみれば不都合な事かも知れません。
また、これだけ登山道具が良くなり、携行食品、GPS、携帯電話が利用出来るようになったにもかかわらず、遭難報道は拡大する一方です。
本来登山者は、あらゆる場合を事前に想定し、山での判断決断をシンプルに行えることではないかと思っていますが、安全、迷惑など世間の正義がそれをさせない力学になっているように感じています。
都会での日常を奪う大雪もyoneyamaさんの言われるように、ある意味非日常というプレゼントだったのかもしれません。
いつも、本来の姿を気付かせてくれる情報や意見ありがとうございます。
yoneyamaさんの登山談議を拝聴したいと思っています。
素人山行者のコメントになりました。
ケッヒェルさんこんにちは
登山道具が良くなったとみな言いますが、格好よく高価になっただけでそれほど性能は変わっていない気がします。軽量化はしましたけど。
それに比べて社会の空気の方がおおきく変わっている気がいたします。山に限りませんが。
警察に通報すれば怪我無しでも遭難、這ってでも自力下山すれば重傷でも遭難扱いにはなりません。遭難救助要請を無思慮に出されないための説得と理解を事前に周囲にしてもらわなければなりません。それは、以前は山岳会や山岳部で当たり前にやっていたことです。
時代がいくら進んでも、人は体で体験した事、目をあわせて話した人から身につける物事が一番大きいと思います。伝聞、又聞き、ネットやテレビは話半分で聞いておきましょう、とネットに書いていますね、いま。
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