よるのTVは滅多にみないのですが、今夜は見ました。忌野清志郎。2009年5月2日の命日でした。その早朝、泊まり明け番の旧友から電話がありました。「清志郎が死んだよ・・・」80年代、高校生のとき屋上で授業をさぼり、88年カヴァーズ東芝発売停止のときは反原発の寮生大会討論もありました。清志郎が死んだ頃から、青年期に影響を受けたセンパイが時々亡くなるようになってきて。
五月連休に山でラジオを付けると、清志郎追悼番組が結構な頻度で聞けましたが、今年はどうかな。ラフォルジュルネも楽しみです。明日からの連休後半は、10年越しの夢のルートを狙っています。21世紀なのにおそらく未踏のルート。焚き火して、無人の山域で。
http://hatenanews.com/articles/201404/20394
ラストデイズ見ました。
青山ロックンロールショーからもう5年も経ったんですね・・・。
番組中でもありましたが、
いま清志郎が生きていたらどんなことを歌っていたのか、
特に3.11以降だったら何を発言しただろうか、いつも思います
ひろうみさん
番組でやっていましたが、あの人は細やかな気遣い豊かな歌詞をもともと書いていたのに、あんな直接な歌詞で歌っちゃったところが大物でした。今も歌う事たくさんありますね。誰も歌わないですけど。
「カヴァーズ東芝発売停止」のアルバムは、その後独自レーベルから発売されましたね。
現在、福島事故のニュースを聞く度に「サマータイム・ブルース」のセリフを思い出さずにいられません。
「知らないうちに漏れていた〜。」って、まったくそのとおり現実になりましたね。
この間は「知らないうちに別のタンクに入れていた〜」んだそうで。
パソコムさん
ぼくはカヴァーズで知ったオリジナルナンバーが結構ありました。キヨシさんはたくさんのクラシックなナンバーを良い歌詞で紹介してもくれましたね。
「漏れていた」系の名曲では、タイマーズの「メルトダウン」という幻想的な歌もありますよ。
こんにちは、yoneyamaさん。
忌野清志郎さんが私の上の子供二人の幼稚園の先輩で、子供が幼稚園に通っていた時に一度清志郎さんが訪ねてこられて子供達の前でミニミニコンサートをやっていただいたことがありました。
とっても子供達に優しくて感動しました。
素晴らしい人柄でしっかりとした考えを持たれたアーティストでしたね。
ジュンヤマさん!うらやましい!うらやましい!
その話、インタビュウで本人が言っていました。メイクもテンションもバッチリ決めて駆け足で登場したそうで。親は大喜びだったけど、たった独り不機嫌な顔をしていたのがムスコだったと言ってました。こんな父ちゃんでごめんよ、て感じでしたけど。
yoneyamaさん、こんにちは。
私は70年代の第一期黄金期のRCが好きでした。
「僕の好きな先生」の頃
私自身、国立に住んでいたこともあるので
当時の、多摩のローカルバンドのRCには
とても親しみがありました。
命日が近くなると多摩蘭坂の一角には
必ず花が手向けられています。
(注)たまらん坂
RCの歌では「多摩蘭坂」と書く
国立市と国分寺市の境目にある坂
大昔、一ツ橋大学の学生が
たまらん、たまらん、と言いながら登ったため
その名が付いたらしい。
ヤマヒロさん
何度も脱皮した人でしたね。売れない不良歌手だった頃のオリジナルぶりは本当にすてきな歌詞だと思います。僕も若い時に一番共感した時代です。
「あの歌が思い出せない」とか、「泥だらけの海」とか。
かみさんの実家が国立なので、清志郎名所は歩いていますよ。一橋大の友達に寄ると、たまらん坂をミニスカートの女学生が歩いていたのでタマラン、タマランになったのだと言っていました!
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する