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名山の資格は、遠くから、広い範囲で見えて多くの人に知られている事、だから愛され、語られる。お祈りもされる。
遠くから見えるための条件の一つが、標高が高い事。周りに抜きん出ていること。御嶽山は木曽谷に入るとほとんど見えません。でも濃尾平野の隅々から見えるし、信濃の山に登れば必ず見える特別な山です。
古くからの名山と言えば、富士山に立山、白山、御嶽山ではないかな。超別格の富士山に次ぐ「日本四名山」と言えなくもない。
立山、白山、御嶽山。名前も単純です。御嶽山は、ザ・マウンテンです。
そしてこれら三山は、京都から東に歩いて行くと見えてくる、初めての雪山、高い山なのだと気がつきました。東国生まれで京都暮らしの目線がなかったので、なぜこんな辺境の山に信仰があったのか、昔は分かりませんでした。
西日本最大の盆地だった京都から、以前は大河の氾濫で都市にはなり得なかった江戸、大阪、名古屋のような平野部に都市ができ始めたのが17世紀。山際に住む方が安全で、山からの産物で安定していたのに、河川交通と沃野の大規模農業を求めた技術革新で、世の中が大きく変わった。日本の歴史上で大きな転換だったのではないかな。
今はすっかり忘れられた、盆地経済時代の思想の片鱗が、山岳信仰の価値観に少しだけ残っているように思える事があります。
ちょうど今ぐらいの季節、中世の京都から東に向かって何日かかけどこまでも歩いて行く。よく晴れた日、低い山並みが切れた見晴らしのよい場所に立つと、遥か彼方に雪を載せた別格の高い山が見える。それが、白山や立山や、御嶽山の感動だったのではないかな。
追記/大山も京都から歩いて行くと始めに見る高く白い山、名前も単純。加えると日本五名山といえるかも。
この前、読んだ漫画ですが、お盆に帰ってくるご先祖の話しで、最近はちゃんと先祖供養してくれない家が多いので、山から下りてきても迎え火が無くて迷子になる霊もいて、お盆期間中は実家に帰らず、この世で適当に遊んで盆明けになるとよその家の霊について、早池峰山にかえっていくとゆうものでした。早池峰山も100名山
早池峰山が霊山だったのか!と漫画を読んで気づきましたが、以前金沢に出張したときに、同僚に悪霊せおってますよ!と深夜に迷惑な指摘をされた時に、何で私に憑くの!と聞いたら、翌週に御嶽山の予定が入っているのを背中の方はご存知で、名山?霊山に連れて行って、そこからあの世に旅立ちたいかららしいです。私についてこなくても空とべそうですけどね…昔の人もご先祖も名山は登りたい山で霊界への入口なのかしらと思いました。ちなみにこの同僚は長野県民で、長野県には霊山がたくさんあるから、霊感がある人が多いらしいです。だからと言って私の除霊をしてくれたわけでもありませんでした。
霊山というのはわかりますが、霊界とか背中につく霊の話とか更に霊感とかいう話になると、みなさんの話は具体的(漫画的)すぎる気がします。もっとぼんやりしたものではないかと思うのですが。しかしことばにならないものをことばにするんだから、そういう表現もアリか。現代的な表現なのかな。
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