(過去レコ)西穂高岳〜奥穂高岳〜槍ヶ岳
- GPS
- 56:00
- 距離
- 34.4km
- 登り
- 3,210m
- 下り
- 3,213m
コースタイム
- 山行
- 9:40
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 10:50
- 山行
- 9:55
- 休憩
- 1:25
- 合計
- 11:20
天候 | 12日=晴れ 13日=晴れ 14日=晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2007年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
【山行記録投稿=2018年2月16日】
2007年 春
「今年の夏に、奥穂高〜西穂高を縦走したいけど、一人では心配なので一緒に歩いてほしい」と言う知人(Aさん)の要望に応え、ついでに槍〜穂高を合わせ、槍〜西穂の縦走計画を立てる。
槍から奥穂高へは2004年8月に上高地から一泊二日で縦走し、奥穂から西穂へは1998年7月、前穂から反時計回りで日帰り周回する形で縦走していたので、大体どんな所かは分かっていた。
槍〜穂高の縦走路は、登山愛好家なら多くの人が憧れる。
大キレットについての詳細なガイドブックも数多く出版されている。
実際に歩いた経験からは、北穂〜涸沢岳間も大キレットに劣らず険悪なコースであった。
奥穂⇔西穂は、日本アルプスの一般的な縦走路としては、最も危険度が高いと言われる。
この区間、歩く人は多くはなかったが、中高年の女性が多い大きなパーティーが前を縦走していて追い抜きにくかった。
その時、奥穂から西穂へは3時間05分だった。
同年(2007年)夏
Aさんの日程に合わせ、天気予報に注意しながら、8月のお盆に行くことにする。 スケジュールは私が決める。
計画=上高地から入り、西穂山荘から西穂〜奥穂へと縦走し、穂高岳山荘に泊まる。翌日、雨が降らず体調も良ければ槍まで縦走し、槍岳山荘に泊まる。三日目に上高地へ下山する。
初日は少しきついが二日目は楽、三日目、梓川沿いの平坦な道にはウンザリするかも知れない。
新穂高温泉からも一度は考えたが、ロープウェーに頼るよりは自分の足で登りたい。槍からの下りは、同じ沢沿いでも、蒲田川・右俣よりかは梓川の方が見所は多い。
(『山と渓谷』7月号には、新穂高〜西穂〜奥穂〜槍〜上高地が四泊五日で特集されていた。五日も掛ければ、却って疲れるかも?)
8月12日
沢渡から始発のバスで上高地へ。バスは満席だが、帝国ホテル前で降りたのは我々だけ。
西穂山荘で小休止後、快晴の陽光の元、尾根の縦走開始。
山荘から数分上がった丸山から、展望がとっても素晴らしい。すでにここは焼岳より8m高い。行く手には独標、ピラミッドピーク、西穂が鋭く天を突いている。
西穂までは人も多く、特に危険な場所もない。
西穂山頂で絶景の大展望を楽しみながら、食事休憩。
前穂はこちらから見ると平らな山頂だが、徳本峠の方から見ると鋭く尖っている。その下に重太郎新道も見える。絶壁状の急斜面によくもルートを拓いたものだ。
周辺の黒っぽい岩場の中で、紀美子平だけが白っぽく見えている。
ここから先、急に人が少なくなる。
間ノ岳を下ってから振り返ると、山と言う感じではなく、巨大な岩場そのもの。西側の上部は、大きな地震が発生すると大崩落しそうなオーバーハング状。
天狗のコルに登山地図には避難小屋跡とあるが、跡形のかけらも見当たらない。
前方に巨大な岩のドーム、ジャンダルムが間近に迫る。
白ペンキで、右に矢印があり‘奥ホ’、上方向にも矢印があり、岩で隠れた所に‘ジャン’と書かれている。
ジャンの天辺で小休止し、奥穂へ向かおうとしたが、奥穂側(東側)にザイルがなく、素手では下降不可能。
仕方なく‘奥ホ’の矢印まで戻り、信州側をトラバース。
9年前、奥穂から西穂へ向かった時は、ジャンの東側の絶壁にザイルがあり、それをよじ登ったが、いつの間にか撤去されたようだ。
最後の難関、馬ノ背のナイフリッジを無事通過して奥穂に登頂。
思い返せば、天狗岩以降が最も厳しかった。
西穂山荘以降、少し遅れて来るAさんを時々立ち止まって待つゆっくりペースだったが、長時間の緊張感から解放された後、強い疲労感だけが残っていた。
8月13日
一晩ぐっすり寝て体調はすっかり回復していた。
天気も上々、予定通り槍へ向かう。
今日の行程は9時間ほどなので急ぐ必要はないが、いつもの癖でつい速足となる。
涸沢岳〜北穂間も鎖や梯子が大変多く、気の抜けないルートだ。
北穂の広い頂上に着き、異様な光景を目の当たりにする。
大キレットでヘリの音がしていて、大勢がその方向を見下ろしている。
私たちも人垣に分け入り、崖下を見下ろしていると、間もなくヘリに人が吊り上げられた。
間違いなく転落者が出たのだろうと思った。
遭難者の救助現場に遭遇したのは初めてである。
北穂高小屋から大キレットへは、砂状に大小無数の石が交じる急降下で始まる。
はるか下方には反対方向から縦走して来る人の列あり。
石を落とせば、その人たちに当たる確率は極めて高い。
石に足が触れなくても、砂が崩れれば落石を誘発する。
自分が転落することより、石を落して下の人を怪我させないことに全神経を集中させる。
かなり下った所で行き合ったパーティーの女性に聞くと、ヘリで吊り上げられたのは転落した人ではなく落石を受けた人で、ぐったりしていたが、幸い意識はあったそうだ。
大キレット最難関と言われる飛騨泣きを無事に下り、A沢ノコルに着いてホッとする。
この先のナイフリッジ通過中、突然後方から大きな叫び声がした。
びっくりして振り向くと、人の頭ほどの石が勢いよくバウンドしながら落ちていた。
下に人がいたが、幸い直撃は免れたようだ。
実際に頭上を石が飛ぶのを見たら、生きた心地はしないであろう。
人間、どこで命を落とすか、分かったものではない。
ナイフリッジを過ぎた所に‘Hピーク’と表示あり。
ン?Hのピーク??一瞬、場違いな想像が頭をよぎったが、緊張感の連続で、それどころではない。
ここ長谷川ピークは飛騨泣きとともに、事故多発地点なのだ。
Hピークの岩稜を終え、ここから先にはもう危険個所はない。
南岳小屋直下に梯子と鎖があるが、ただ単に急なだけ。
中岳の南東側には、秋までに解け切らないのではないかと思われるほど、残雪が多く、流水がせせらぎの音を立てている。
水は十分に持っていたが、凍るほどに冷たい雪解け水でのどを潤す。
今日はのんびり歩き、ほぼコースタイム通りで槍岳山荘着。
宿泊手続き後、槍の穂先へ向かうが大渋滞。
頂上は狭く、30人は無理。
頂上の人が下りない限り、下の人は上がれない。
午前中の晴天も午後遅くには雲が広がり、頂上からの展望はあまり良くない。
登頂した人は順番で祠の脇に立ち、記念写真を撮っている。
私は3年前の槍から穂高への縦走の際、雲の全くない快晴で、絶景を堪能していたので、今回はAさんが満足すればそれで良かった。
8月14日
三日目も早朝から快晴。
朝食前、日の出を見に再び槍へ。
ご来光も山岳展望も絶景、パーフェクトな展望に気が遠くなる。
朝食後、このままグリーンバンドを槍沢へ下るのが勿体ない極上の好天なので、展望のいい東鎌尾根を水俣乗越まで下る。
途中、特に好展望のヒュッテ大槍の裏で、前穂から槍までの見納めとなる。
槍ヶ岳の岩塔を仰ぎ、次回までの別れを惜しむ。
横尾〜上高地間の標高差は120m足らず、コースタイムは3時間10分。
平坦な道にウンザリすることなく、激しくもドラマチックであった西穂〜槍縦走の余韻に浸りながら、ゆっくり歩く。
上高地は人で溢れ、沢渡行きのバス待ちは1時間となる。
翌日は仕事があるというAさんをJR松本駅に送り、私は翌日から後立山縦走(白馬岳〜針ノ木岳)の山旅を続けた。
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