読み物としてもたいへんおもしろい本で、他の巻も読んで見たいのですが、この全集はこの巻しか買いませんでした。既に絶版になっていますが、上田市内の図書館に全巻揃っているようなので、そのうち借りてきて読んでみようと思います。
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日記
本棚を整理していたらガモフ全集の第10巻「物理の伝記」が出て来ましたのでざっと読みなおしてみました。35年前に買った本で、ガモフがこの本を書いたのは50年以上前になりますが、ピタゴラス、ニュートンから相対性理論、量子力学、素粒子論と50年前とは思えない知見で書かれていて、50年前から物理学はあまり進歩していないのではないかとさえ思わされました。
読み物としてもたいへんおもしろい本で、他の巻も読んで見たいのですが、この全集はこの巻しか買いませんでした。既に絶版になっていますが、上田市内の図書館に全巻揃っているようなので、そのうち借りてきて読んでみようと思います。
ガモフ全集
読み物としてもたいへんおもしろい本で、他の巻も読んで見たいのですが、この全集はこの巻しか買いませんでした。既に絶版になっていますが、上田市内の図書館に全巻揃っているようなので、そのうち借りてきて読んでみようと思います。
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wakaさんへ。
4年ほど前に素粒子論の歴史をまとめたことがあり、そのときに『 ガモフ全集』(白揚社 1951年)を参照しました。
ガモフは宇宙のビッグバンとそのもとでのあらゆる元素の生成を初めて推定した人で、この人の主張と自然観は時代を経ても輝きを失わない面があります。
でも、さすがのガモフも、局面、局面では仮説や推定が迷路に入ったこともありました。
たとえば1930年代に、ミクロの世界の探求は、原子と原子核を構成する陽子、中性子、電子が発見され、これとは別にニュートリノの存在が提唱された段階で、「原子を構成する粒子はすでに出尽くしてしまった」という見方が、強く押し出された時期がありました。
この主張は、原子模型を確立したボーアら当時の主要な物理学者のなかから出されただけに、かなり支配的な傾向になっていた。
そのときは、ガモフも、次のような「出尽くし論」を唱えました。
「古典物理学における不可分原子には多数の種類があった代わりに、現在われわれは核子、電子及び中性微子という僅かの数の異なった本質的粒子をもっているにすぎない。そしてすべてのものをその最も単純な形に還元しようとする最大の希望と努力にもかかわらず、あるものを無にまで還元することはできないのである。したがってわれわれは物質を形成している基本的粒子の研究において実際にその底に突き当たったと考えられるのである。」(全集6)
ところが、時代の変革は何よりも雄弁で、物理学はこの殻を打ち破って、前に前進した。
その新しい突破口を開いたのが、日本の湯川秀樹や坂田昌一でした。
知られていた基本粒子の背後には「無」しかなかったのではなく、中間子やかニュートリノなどより基本的な素粒子の階層が、彼らの発見と理論によって見出されてきました。
日本人の研究者は、そのさらに先のクォークの世界の探求でも大きな役割を果たします。坂田が薫陶した、小林、益川らです。
物理学の2度の大きな壁と激変期を突破した彼らの仕事の足場には、しっかりとした方法論がありました。
wakaさんの毎回の日記には物理の探究の好奇心とハートが感じられます。学校教育でも先生方がもっと自然界の成り立ちや夢を語れる授業をやってほしいと思います。
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