( 前回の「釜が瀧・うたげの滝」は、柿野川の上流(北山の西の本流)西洞にある。)
「 … 多くの抗夫が、飲食で身も心も、癒したといわれる「仲町」は、今の「中村」あたり … 」
と、あるが 「中村」はどのあたりの話しだろうか、詳細な地図「柿野」の詳細地図も添付されていたが、細かくて、ガラホ画像の画質では判別できないかもしれないが、何とか工夫して公開してみたいし、歩いてみればなにかしらかしら、当時を思わせるものに出会えるかもしれない。
( 旅籠…は旅人の為だけとは限らない… 飲食?もっといい話もあったにちがいない、きっと… と、個人の妄想はどんどん広がっていきます。)
・ 今回は、美山全体の古い時代の村の名前と、地区名と、どこの領地(管轄)かを現した地図を最初にあげてみました。
( 武家の時代の区分図なので、地名が今の呼称と異なっているかもしれません。)
写真1: 美山町の地区名と村の名前。( 「美山町史」より )
( どこの領地かで、大きく3つにわかれている。
・ 神崎/円原/葛原(幕府領・北西部)
・ 谷合/青波 (岩村領・中央部)
・ 柿野/岩佐 (名古屋藩領・南東部) )
写真2・3: 民話ふるさと再発見・ふるさと柿野たずねある記「25.柿野北山鉱山」全文。
makobe 山行記録: 美山 北山(5) 東洞谷より東の支流を散策
" https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2010719.html "
日記: 美山町東洞谷には… 鉱物もあるかも?
" https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-228298 "
< 追記 > 同日
・ 上記の山行記録の写真にある、ひとかかえもある(直径50cmはあったかと…)歯車のついたワイヤーボビンは、その時は林業の名残かと思っていましたが、鉱山の設備の一部だったかもしれません。
柿野鉱山については 記述がないですね
明治のころに 盛んだったようですが 記録は 地名だけなので
谷や字名のわかる資料があると どのあたりかもう少しわかるんですが
大きな歯車は 時代からすると新柿野鉱山なのかもしれませんね
新柿野鉱山の位置については 書かれたものがありますが 地図上には表現されていないし 到達した人の話はWEBには出てこないですね
近くまで行った人の話は聞いたことがあります
私は 柿野鉱山のほうを探してみたいのですが 情報がないです
精錬所があった場所には 鉱滓が落ちていたのですが 採掘場所はわかりませんね
pprmine さん コメントいただき ありがとうございます。
( コメント通知を見逃していたようで、返信遅れてしまいました、すみません。 )
・ pprmine さんは、鉱山について詳しく調べておられているようですごいですね。
・ 大きな歯車のあったあたりは、その後の美山町史の鉱床の部の地図では、銅鉱山かもしれないと思っています。
美山町史の説明には、『 銅鉱山は、乾の北山の東方の中腹地点 〜 』と書かれていて、私が歩いたところとおよそ一致しています。
下記PDFに美山の鉱山の説明がありました: 美山町史/ 5.鉱床
" https://be-restore.up.seesaa.net/image/Miyamahist28329_Kousyou_20210125065225.pdf "
ほんとうにすみません。
これからもよろしくお願いします。
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