mmg様のレコのコメントに太宰治の「富嶽百景」を引用したが、久しぶりだったので、引用部分は覚えていたが、その短文のその他の部分はすっかり忘れ果てていた。
で、引用した後に読み返してみれば、他にもけっこう面白いことが書いてある。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/270_14914.html
このころ太宰は井伏鱒二氏と一緒に御坂の天下茶屋の二階で執筆活動をしていたのだが、時には気分転換で登山をしたのだった。
そのくだりを引用すれば、(現代語に直す)
「私が、その峠の茶屋へ来て二、三日経って、井伏氏の仕事も一段落ついて、ある晴れた午後、私たちは三ツ峠へのぼった。
三ツ峠、海抜千七百米。御坂峠より、少し高い。急坂を這(は)うようにしてよじ登り、一時間ほどにして三ツ峠頂上に達する。
蔦(つた)かづら掻きわけて、細い山路、這うようにしてよじ登る私の姿は、決して見よいものではなかつた。
井伏氏は、ちゃんと登山服着て居られて、軽快の姿であったが、私には登山服の持ち合せがなく、ドテラ姿であつた。茶屋のドテラは短く、私の毛臑(けづね)は、一尺以上も露出して、しかもそれに茶屋の老爺から借りたゴム底の地下足袋をはいたので、われながらむさ苦しく、少し工夫して、角帯をしめ、茶屋の壁にかかっていた古い麦藁帽(むぎわらばう)をかぶってみたのであるが、いよいよ変で、井伏氏は、人のなりふりを決して軽蔑しない人であるが、このときだけは流石(さすが)に少し、気の毒そうな顔をして、男は、しかし、身なりなんか気にしないほうがいい、と小声で呟いて私をいたわってくれたのを、私は忘れない。
(中略)
パノラマ台には、茶店が三軒ならんで立っている。
そのうちの一軒、老爺と老婆と二人きりで経営している地味な一軒を選んで、そこで熱い茶を呑んだ。
茶店の老婆は気の毒がり、本当に生憎(あいにく)の霧で、もう少し経ったら霧もはれると思いますが、富士は、ほんのすぐそこに、くっきり見えます、と言い、茶店の奥から富士の大きい写真を持ち出し、崖の端に立ってその写真を両手で高く掲示して、ちょうどこの辺に、このとおりに、こんなに大きく、こんなにはっきり、このとおりに見えます、と懸命に註釈するのである。
私たちは、番茶をすすりながら、その富士を眺めて、笑った。
いい富士を見た。霧の深いのを、残念にも思わなかった。」
ドテラに麦わら帽子、地下足袋という姿、想像を絶する(^^)。
でも、さすが井伏鱒二は「身なりなんか気にしなくていい」と。
パノラマ台での老婆とのやりとりも人間味があって、じんわりと心にしみる。
「いい富士を見た。」とはもちろん老婆が見せた「写真の富士」だ。
登山して「写真の富士山」を愛でる・・・、実にいい話。
こんにちは
太宰、いいですよね。
私も山に登るより太宰を読んだのが先でしたから
御坂峠、三つ峠山に行った時も
ああ、これがあの太宰もみた景色か
と感慨深いものでした。
石割山に行った時は何一つ隠さずにいる富士をなんだか恥ずかしく、
長く観賞するのも居たたまれない感じがしました。
やっぱり見えるか見えないかみたいなとこがいいのかな?
このあたりは男の人の方が熱く語られるのでは?
ところで引用の文献、横書きで書かれている文章だと読みにくいと思ったのは私だけ?
はじめまして。HIEDI様。
コメントありがとうございます。
プロフィールを拝見すると小金井市在住だとか。
私はかつて武蔵野市在住でしたが、部屋探しの時、不動産屋さんに「太宰ファンなら玉川上水そばの物件案内しますよ。」といわれて面食らったものでした。
HEIDI様も上水沿いを選ばれた口でしょうか?
その後、禅林寺の太宰の墓にも参りましたし、そもそも山梨の人間ですので、なにかと太宰に縁があるのでした。
昨年、たまたま天下茶屋に行ったら、季節外れなのに大賑わい。
多くの客がご高齢とお見受けし、「これみんなひょっとして太宰ファン??」と思ったり。
(いやいや、お若い太宰ファンもいるのでしょうが・・・)
現在も時々天下茶屋を通ると「月見草」の石碑に立ち寄り、富士山を眺めるのですが、やっぱり「なんだか恥ずかしく」という気持ちがするのでした。
横書き、読みにくいのはパソコンではどうにも(^^)。
でも日本文学、縦読みしたいというお気持ち、よくわかります。
いえいえ、選びたくともダンナの実家に嫁いだもんで^^;
ホントにこんな小川によく入水する気になったのかよっぽどだったのだなぁとつくづく。いややはり愛人に…?
よく通りかかりますが水をのぞきこむたびに太宰がよぎります。
ちなみに今頃彼岸花がポチポチと咲いていてきれいですよ。
再度のコメントありがとうござます。
選びたくなく、でもとても良いこと所へ嫁いだことで・・・。
玉川上水は昔は、そうとうの水量が流れていたようです。しかし時代とともに利用する当てがなくなって一時はほとんど枯れ堀になっていたのでした。
私が武蔵野に越してきた当時は、ここに飛び込んだら脚骨折するだけだろうが!、というくらいでした。
しかし、その後東京都の「清流復活事業」というのがあり、多くの方のご努力で水の流れが復活。現在のようになったのでした。
まあ、今の水量でも入水自殺は難しいでしょうね。
私は玉川上水の景色が大好きで、日曜日の朝に、三鷹駅前のけやき橋あたりから桜橋を過ぎ、千川上水との分岐点の先、くぬぎ橋のあたりまで、一時間ほど散歩するのが日課でした。
特に春、桜の後に咲く「エゴノキ」の花がすてきでした。また彼岸花、桜橋のあたりに多かったですね。思い出します。
趣味の中に、登山、読書もあり、早速、プリントアウトし、読ませていただきますね。
チャンスを与えてください、感謝します。
はじめまして。ryuusei様。
私のつたない日記にご訪問とコメントありがとうございました。
私は山梨の人間で、また東京で玉川上水沿いに住んでいたこともあり、何かと太宰には縁があるようです。
ryuusei様、プロフィールでは静岡にお住まいのようで、山梨は近くですから、富嶽百景を読まれた後、ぜひ太宰が「赤面してしまう。」と書いた富士山を見においで下さい。
天下茶屋のある御坂旧道は冬期閉鎖になりますが、静岡側からは天下茶屋(旧御坂トンネル)までは入れる時期があります。
県道情報をお確かめの上、おいで下さい。
http://www.pref.yamanashi.jp/dourokisei/
pasocomさん、はじめまして!!
marcyです。
天下茶屋、良いですよねぇ・・・
天下茶屋に滞在してた頃の太宰治は、精神的にも安定してたみたいで、作品も「富嶽百景」に代表されるように明るい気がします。
ちなみに三鷹の太宰治のお墓の前には、あの森鴎外のお墓があります。
三鷹から吉祥寺に向かう玉川上水脇の道には、太宰の入水ポイントに記念碑が・・・
そのすぐそばには、山本有三記念館があり、あの路傍の石がありますよ!!
文学散歩・・・
良いですねぇ・・・
from marcy
はじめまして。marcy様。コメントありがとうございます・。
確かに「富嶽百景」の太宰は明るいですね。
老婆に見せられた写真の富士を「いい富士を見た」というのですから「人間合格」じゃん!、と。
武蔵野に住んでいたので吉祥寺は自転車圏内。サイクリングで遊び回っていました。
禅林寺(森林太郎墓)や山本有三記念館懐かしいです。
三鷹駅前(北口)には国木田独歩の「武蔵野」の碑もあり、丹羽文雄さんの家はお隣さんみたいなところだった。
他にも武蔵野市に住んだ文豪といえば武者小路実篤、新田次郎等々・・・。
まさに文化の散歩が日常的にできる素晴らしい町でした。
なつかしいなあ・・・。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する