そろそろ「あの」時期かな、と思う。母校(甲府一高)の強歩大会だ。
ネットで見ると、今年は来たる週末(10/6〜7)らしい。
http://www.first.kai.ed.jp/sgyouji_kennsoku/#001047
その強歩大会は、その名を「強行遠足」という。すごい名前でしょう?
「遠足」といいながら「強行」だと。
現在は諸事情から、その距離約75kmとなっているが、私の頃は甲府〜小諸の100km超だった。おそらく全国屈指の強歩大会だ。
今日はこの強行遠足の思い出を綴ってみようと思う。
当時から強行遠足は、秋10月初旬だった。
高校は決められた靴など無く、普段男子はたいてい革靴を履いていたが、強行遠足の数週間前から皆、運動靴で登校するようになる。遠足に備えて靴を履き慣らすのだ。
女子は「祈、小諸必着」とか書いた紙を包んだ「お守り」を作り始める。それをお気に入りの男子に手渡すのが習い。
当日は午後2時すぎに高校を出発だ。履き慣らした靴の内側には靴擦れを防ぐために石鹸をたっぷり塗り込んでいる。
持参するのは途中で足に塗り込む「メンソレータム」。一本をだいたい使い切ってしまう。
夜間歩行になるので、帽子や服に反射材を貼り付ける。なかには頭に風車を取り付けるアホもいる。
高校を出た直後は、沿道に女子が並んで声援しているからダラダラ歩いてはカッコ悪い。一応駆け足で走る。
全行程のおおよそのCTは以下のようなもの。
14:00 甲府発(距離00km)(標高約300m)
17:00 韮崎(距離15km)
24:00 野辺山(距離50km)(標高約1300m)
07:00 小海(距離70km)
09:00 臼田(距離80km)
12:00 小諸着(距離100km)(全22時間制限)
行程の標高差は1000m以上あるので一種の「登山」みたいなものだ。
韮崎の先には、約5km置きに「救護所」が設けられ、そこで休憩、薬、お茶などが提供され、通過の検印がされる。体を横たえる場所もある。すべて保護者や教師のご尽力だ。
先に進めなくなれば救護所で「リタイア」となる。また彼らは救護所間を車で巡回して路肩で動けなくなって倒れている生徒を回収する。だが、ひとたび車に回収されたら、その場で「リタイア」と見なされるのだ。
標高が最も高く、全行程のほぼ中間点となる「野辺山救護所」は最大のポイントだ。疲れて飛び込んで来た生徒に名物の「シジミ汁」が振る舞われ、応援団OBが校歌や応援歌を歌う。時には地元メディアの取材も入る。
野辺山を過ぎ、佐久に進むと夜が明け始める。ヨタヨタ歩いていると軽トラのおじさんが「乗ってくか?」と声を掛けてくれるが乗ったら「リタイア」だ。
小海、臼田、佐久。いろんなところで自前の救護所を作って林檎やおにぎりを提供してくれる長野の方々がいた。今思い返せば本当にありがたいことだった。
制限時間は出発の翌日正午。ゴールは小諸市民会館だ。
全校男子約900人のうちゴールにたどり着くのはいつもほぼ半数。あとは途中脱落となる。
市民会館はあたかも野戦病院のようだ。みな寝転んでくたばっている。中には足にマメを作って泣いてる奴もいる。
その日は各自、小海線で山梨に帰って終了。
だが、その翌日が問題なのだ。
翌日は休校日かといえばさにあらず。登校して出席を確認されないと「小諸到達」と見なされない、というルールだった。
従って、男子連中は痛む足を引きずって登校する。ふだん自転車通学の者もこの日だけはバスに乗ったりするが、バスの中では女子生徒でも誰でもが席を譲ってくれるのだった。
また、その登校風景が面白い。男どもみなヨチヨチ歩きなので、校門前はまるでペンギンの大集団みたいな状態(^^)。
素晴らしい、まさに「強行の遠足」だった。
ちなみに私は2年の時に小諸到着39番。今でもちょっとした「誇り」。
なお、昔は制限時間なく、日本海まで歩いた猛者がいたとか・・・。
本当かい!!
こんにちわ。私も6日100km歩きます。
お守りもイケメンからの声援もありませんし順位やタイムの目標はありませんが、弱い自分に負けないようにしたいです。
たちpasocomさん、こんにちは
すっごいですねぇ。甲府から小諸
完歩したら、ものすごい達成感&自信でしょうね。
一生の自慢ですね。
女子は参加出来ないのですかね?
挑戦してみたいです。
お守りとか、女子の前では一応走って見せたりとか、青春ですねぇ。
7日は早朝に佐久を発ち八ケ岳へ行く予定です。
遭遇するかな?
どういう経緯かわかりませんが、とにかく100kmなどというのはなかなか歩ききれない距離です。
「弱い自分に負けないように」。
そうですね。こういう長距離走は自分との戦い。
走りきれば、その戦いは勝ちです。
どうぞ、がんばって下さい。
自分のことしか書かなかったのですが、もちろん女子生徒も走るのです。
ただ、女生徒を夜中走らせるわけにはいかないので、翌朝8時頃須玉を出発し、小海までの約40km(制限時間8時間ほど?)だったように記憶しています。
素晴らしいことに女子の完歩率は80%以上でした。
これとても、なかなかできることではありませんが、男子の100kmがあまりにも大きく取り上げられるのでその陰に隠れてしまっていたのでした。
「挑戦したい」お気持ち、素晴らしいです。
この強行遠足の縁でしょうか、佐久市では毎年韮崎から佐久市までの78kmを夜を徹して歩く「佐久市強歩大会」が催されます。ぜひ来年、それにご参加下さい。
きっと特別の体験になることでしょう。
http://www.nagano-tabi.net/modules/event/index.php?action=View&event_id=0000000639
この10/7日、早朝に国道141号線を走れば、おそらく一高生徒に出会うと思います。その際には、一言激励してあげていただければ、彼らにとって何よりの励ましになるでしょう。よろしくお願いいたします。
100Kmとは凄いですね。そこまで距離はなかったですが、私の母校では大菩薩峠超えの強歩大会というのがありました(おそらく現在も)。ざっくりいうと塩山〜大菩薩峠〜奥多摩湖(小河内ダム)までを歩くというもの。距離はフルマラソンくらいだったと思います。スタートとゴールは標高500mくらい、峠は標高1900mくらいですので、登山ですね。時期は5月初旬で峠近辺は残雪ありです。夜中の2時ごろ出発して、いかに長い距離を「走れるか」が高順位になるポイントで、早い人は朝6時頃にはゴールしていたんではないでしょうか。ほとんど走りっぱなしだと思います。当然ポイントごとに足きりがあって、締め切り時間に遅れるとバスで回収です。
私は回収されたことはなく、3年生の時、朝8時くらいにゴール、結構高順位だった記憶があります。
因みに男子校のため、応援なし、見栄張る必要もなしです。
甲斐の国みなかにたち〜て いにしえゆまごころつたえ 新しき・・・
同窓生だったんですね。
改めてよろしくお願い致します。
寒い中で飲んだ「シジミ汁」の味。星空。明け方の景色。
小諸近くになると靴下が足の裏にめり込むかと思いました。
なつかし〜 やはり高校時代一番の思い出です。
そういえば、1ヶ月前くらいから和田峠経由千代田湖まで放課後練習に行ったりしました。
今も、例の八王子神社のルートに現役の一高生が来たりして話したりしてます。
コメントありがとうございます。
プロフィールには書かれていませんが、山梨、それも峡東のご出身でしょうか。
うかつなことに山梨の高校にそのような強歩大会があるとは存じませんでした。
一高のは全行程ほとんど国道141号線ですが、大菩薩峠越えとなると「ロッジ長兵衛」から登山道をいくのでしょうか。そうなるともう本格的な「トレイルラン」ですね。
残雪もあり、では国道歩きよりも過酷かも知れません。
「3年生の時、朝8時くらいにゴール、結構高順位だった。」
こういうの、一生の宝、誇りですね。
では、今でも山道を駆けているのでしょうか?
ぱそこむさん
私も松本の高校で、長野善光寺から鬼無里村越えて白馬村とか、伊那から杖付峠越えで茅野までとか、毎年やっていました。「夜行軍」という行事で、夕方スタートして夜通し歩きました。タイムは競わず、全員貫徹、サポートなどとくに無しで、路上で仮眠したりして行きます。出身中学ごとの、郷友会ごとの行事なので少人数です。
多分戦前からの鍛錬遠足の名残でしょうか。大人の管理はありませんでした。16,17歳の少年たちが先輩と夜の長距離行軍、通過儀礼でしょう。下駄履きもいたし、酒もちょっぴり飲んだりしてました。旧制高校の寮歌を歌ったり。
いやあ、奇遇です。
ご年齢を拝見しますと「同窓」どころか「同期」かもしれません(^^)。
>小諸近くになると靴下が足の裏にめり込むかと。
私は「靴の中に画鋲が入ってるんじゃないか?」とさえ思いました。
去年ちょっとした用事で母校に行きましたが、校舎も新築され、すっかりモダンになっていて、なんだか母校じゃないみたいでがっかりしました。
でも、いまでも道で吊りスカートの女生徒を見かけると「よお、後輩!」って言いたくなるのでした(^^)
いつもコメントありがとうございます。
松本には多少縁があるので、どこの高校の話かすぐにわかりました。
saiogauma様といい、こういう伝統校には、たしかに昔の行軍訓練の名残りかも知れませんが、あちらこちらに同じような行事が残っているのでしょうか。
「大人の管理はありませんでした。下駄履きもいたし、酒もちょっぴり飲んだり。」
バンカラな校風が残っているのですね。うらやましい。
私の母校も当時はそんな校風でしたが、今は管理された普通の高校に成り下がってしまったようで残念です。
すばらしい!
明治か昭和初期の話かと思いました。(笑)
モンスターペアレント台頭ご時勢に今も実施されていることに
感動!!
pasocomさんの驚速ぶりのルーツはこんなところに。
リュックにメンソレ追加しましょう。
100回記念はnori3と参加して下さい
この日記にいろんな方がコメント下さり、それを総合すると、元は戦前の「行軍訓練」みたいなものが各地の伝統校で現在まで継承されて「強歩大会」として残っているらしいです。
以前、多部未華子主演の「夜のピクニック」という映画を見て、これ我が母校か?、と思いましたが、舞台は茨城、水戸一高だとか。
調べて見ると、ここでも「歩く会」という距離65kmを歩く大会が残っているのでした。
http://www.mito1-h.ed.jp/annual_event/arukukai/arukukai2011/arukukai2011.html
高校時代といえば身体能力は一番のピーク。その時期に自分の限界に挑戦できる機会があったことは本当に幸せなことでした。
できることなら、母校の強行遠足も昔のように100kmに戻って欲しいです。
今の高校生にもぜひ同じ体験をしてほしいと思うので。
まごころつたえ⇒男心伝え
でしたね、夜遅くて寝ぼけてたんでしょうか
pasocom様同期?51ですか。
ヤマレコどころか同じ高校で同じ時間を共有していたんですね
またまたよろしくお願い致します。
100回記念とかあるんですか
強行遠足OB版あるんですね走ってもいいんですかね
肩っ苦しいのより、こっちの方がいいかな
でも山に行けなくなってしまう。
今度武田の杜トレランレースにエントリーしました。
足も方はいかがですか?おだいじにじてください。
確かに「まごころ」じゃなく「おごころ」でしたね。すっかり忘れ果てていました。(応援委員で毎日旧館の屋上で練習していたのに。
案外校歌はやらず、おみさきさんばっかだったような?)。
私は卒業後何回か強行遠足を「見学」に行きました。見学ですから無許可です。
夜中の野辺山で救護所を眺め、その後小諸でゴールしてくる生徒達を眺めました。さらにその後小海で女子のゴールを撮影したりして(^^)。
一高のHPを見ると今年は86回と書いてあります。すると100回記念はあと14年後?(^^)
もし、あったとしても私は走れないだろうな・・・。
武田の杜レース、確か去年のは動画で撮影されてませんでしたか?今度は参加ですか。
あれ見ると、みなすごい勢いで走ってる。どうぞ、ケガなさらぬよう走って下さい。
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