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次々に同じような本を依頼するものだから係員さんは怪しんだらしく、「八ヶ岳について調べていらっしゃるんですか?」と言いながら「こんなのもあります。」と頼みもしないのに「日本登山大系8 八ヶ岳・奥秩父・中央アルプス」という本を持って来てくれた。
これも1981年(昭和56年)出版という30年以上前の本。「登山大系」とはすごい名前だね。
しかし、中を見てみるとなかなか面白い本だった。八ヶ岳の章では
・赤岳東壁と地獄谷周辺
・広河原沢
・立場川奥壁
・横岳西壁
なんてのばかり。どれも聞いたこともない、ほとんど岩登りルートだ!
それも、どれもこれも詳細なルート図付き。大同心(左図)なんて想像以上に多くの登攀ルートがあるらしい。
奥秩父の方でも「カンマンボロン登攀」なんてルート図も (^^)
この本、私が知らなかっただけで、岩登りする人は必携書だろうか。
各章の最初に概説図があり、「南八ヶ岳東面図」(右図)があった。
これによると県界尾根は大門沢を奥深くまで進んで登るルートは「旧道」と表記。小天狗に直登するルートに「新道」とある。
なるほど、前回までに私が調べ、またmaruiさんが調べたところ1970年代中頃まではどの地図でも「旧道」が県界尾根ルートとして表記されていたことがわかっていたのだけど、こうしてみると1981年前には「新道」つまり現在のルートに置き換わったらしい。
県界尾根の歴史がまた少しだけわかり、ささやかだが収穫があったのだった。
登山大系は山屋のバイブルですね。
雪山や岩場なんかを登る方達にとっては便利なルート集で教科書みたいな感じでしょうかね。
以前は目にすることも多かったですが、最近は登山ブームもなんかもあり多くの方が残っていた分を我先にと購入してしまい入手が困難になってしまいました。オークションなんかでたまに見かけるとン万円とかになってたりして
山登りを始めた頃はよく読んでいました。
エアリア(今は山と高原地図ですか)なんかもボクは自身が山登りを始めた80年代ぐらいのものからしか持っていませんが今とはルートが結構違いますね。
今の地図と比較してみるのも面白いし整備されていないクラッシックルートを歩くのもまた面白いかと思います
コメントありがとうございます。
やはり私が感じたように、この本は「バイブル的」なものだったのですね。ン万円とは驚きです。
私は岩登りはしないので、中の文章はほとんど読んでいないのですが、添付の図の詳しいこと。日記の大同心の図でもわかるようにまるで測量図のように精密ですね。
ただ逆に言えば一般ルートについてはあまり触れられていませんね。そういう意味ではまさに岩登り用の教科書みたいです。
mamepyonさんも確か「線よりも面」で歩きたい派でしたね。
昔のルートで今は廃れてしまったという様な道もまた魅力的ですね。
私もまた来年も今年と同じように古道やバリルートの探索をしてみたいものです。
こんにちは。
私ももっていますよ。
というか、若い頃はアホだったので当時冬の八のルートを登るために必要なので2冊ももっていました。この前その1冊を他人にあげました。
この大同心のルート図は何度見たか分かりません。
あと、様々なバリエーションルートも載っておりますが、今の人たちは殆ど阿弥陀北陵とか南陵とか横岳西面だけなので東面も挑戦してほしいですね。かくいう私も東面は登っておりませんが・・・。
中央もこれを使っていました。
「この前その1冊を他人にあげました。」
ふふふ、この本オークションに出すと「ン万円」になるそうです。
しかし、やはり「岩登りの教科書」的であったことは確かなようですね。
してみると図書館の司書さんは私がそういう人間だろうと思って持って来てくれたのでしょうか(^^)
この本には、八ヶ岳でさえも私が知らない歩き方がそれこそ無限にあるかと思うほど紹介されています。
この本を読むと、現在私たちが歩いているルートはいかにもバリエーションがないか、痛感しますね。
現代の私たちは「山と高原」に載ってない道など歩くものじゃない、と考えているようです。
山歩きの「ステレオタイプ」に陥っているのかもしれませんね。
いろいろ明らかになってきましたね。
天狗尾根のときにmisuzuさんが、沢を詰め切っても赤岳に登れるんだよ。と言ってたのが、
>・赤岳東壁と地獄谷周辺
のことなんでしょうね。
数十年前のガイドブックを持っていたり、高くて買えないとか、mamepyonさんと同じようです。
こうしてみると一般登山道って、いつのまに区分され始めたのでしょう。
県界尾根旧道は実踏調査してみたいですね。
この本によると「赤岳東壁」とは、大門沢を詰めて行って、頂上山荘に直登するルートのようです。いまでは考えられないルートですね。
買おうとするとえらい値段のようですが、名著のようですから図書館で調べれば閲覧は可能ではないでしょうか。
本当に、昔は県界尾根でさえもバリルートのようなものだったほどですから、一般ルートとかバリルートとかいう区別さえもなかったんでしょうね。それはそれでワイルドな時代だったんでしょう(^^)
私としても「見捨てられたルート」を見直してみたい、という欲望が強いです。
pasocomさん、こんばんは。
お〜、これぞまさに謎が解けましたね。
日本登山大系、ちょっと気になっていたのですが・・・
ところで、これには御題目尾根や天狗尾根は登山道マークがないですね。
どちらも自分の持っている昭和52年版の5万図では道が付いており、天狗尾根が一般ルートのように紹介されていた時代があったのかどうか? どのように記載されているのか気になります。
人が多そうなので避けていた美濃戸口からのルート、昨日、山再開後初めて入りました。トレースばっちりで、おかげで素晴らしい冬の八ヶ岳を楽しめたのですが、ほんとにこちらは入山者が多いですね。というよりも、ここ以外は人が少ないというべきか。
八ヶ岳の忘れられたルート、自分も探索していきたいと思います。
コメントありがとうございます。
この本によって、とりあえず1981年までには県界尾根登山道が付け変わったことが明らかになりましたね。
あとは来春この県界尾根旧道を実踏探索することになりましょうか。いろいろな情報から旧道はやはり斜面崩壊で失われたようですから尾根筋の「4/10ポイント」から下りて行くのは危険かと思います。絶壁にでも出たら大変。
幸い、大系の図で旧道はいったん大門沢の右岸に渡った後、左岸に渡り返して尾根を目指すようになっていたらしく見えます。これを頼りに沢から尾根を目指す方向で探索したいと考えています。
また「旧道」が古道であれば小天狗に江戸時代の石板が立っているのがおかしい。もっと古い道が尾根にあったのか?これが最大の謎です。
「大系」は、書いたように内容が岩登りや沢登りのようなルートの解説ばかり。したがって地獄谷から南についてはかなり軽視されているようで一切触れられていません(^^)
ですから、この本に登山道の表記がなくても、実際に道がなかったわけではないと思います。
川俣沢の出合小屋までも途中までしか点線表記がない。小屋まで道がなかったはずはないと思います。
権現岳の古道も私には気になる存在。年明けにはもっと別の史料も当たって御題目尾根や御神楽尾根の方も調べたいと思います。
おはようございます
興味尽きない話題ですね
点の記などを読むと明治の登山黎明期に測量という仕事でルートを開拓していく様子が伺えますが、それに似た県界尾根新道の開拓もあったのですよね・・
「かつて道があった」などと聞くと、古道を歩いてみたくなりますね(汗
せめて登山口まで二時間ほどなら
県界尾根を大門沢に下ってきた「あの分岐」ですよね
想像がつくだけに、むずむずしますね
面白い山遊びができそうですね
でわでわ
おはようございます。
天狗尾根にも「大天狗」「小天狗」と呼ばれる岩峰があり(真教寺尾根の鎖場を上りながらすぐ左に見えるカニのツメみたいなやつです)、県界尾根の「大天狗」「小天狗」と紛らわしいです。
県界尾根の「小天狗」は尾根を下りてきて左の野辺山側と右の清里側に分かれて尾根から下る分岐点ですね。覚えていらっしゃるとおりです。
そしてここにも薬師如来と書かれた江戸時代の石板が立っているから不思議です。さらに先日の日記の「横井氏」のルートとも合致しないらしい。
謎だらけです。
図書館いかれましたか、さすが、行動力ありますね。少しずつが分かっていく道が読んでいてはっきり見えるようです。
探索うまくいくといいですね。
県立図書館に出かけたのは前回の古地図を入手して気をよくしてのことでした。
驚いたのは頼みもしないのに、司書さん?が私の探している傾向を察知して、本を出してきてくれたことです。
県立図書館レベルだと研究的に来る人も多いのでしょうか。そんな特別扱いをしたわけではなさそうで、ごく自然な感じでご協力していただいたのがうれしかったです。
駐車場は一時間まで無料なのですが、あれこれ調べているうちに10分くらい時間超過。でも一階のカウンターで無料の処理をしてくれたのも嬉しかった(^^)
民間駐車場ではこうはいきませんね。
この図書館にない本も探していたのですが、カウンターで聞くと県外の他の図書館まで調べて下さって借りられる段取りもできました。これもネット世界の恩恵でしょうか。
自分がだんだん考古学者になってしまい、フィールドを忘れてしまうんじゃないかというのが、いま一番の心配です。
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