今週歩いた山でたくさんの看板を見ました。「自然を大切にしましょう」「歩きタバコ禁止」「東海自然歩道」「環境省補助事業」などのテレビ画面より大きい看板は不要だとおもいました。それ自体がゴミなのですが、整備した主体は公園整備のつもりなので、設置者としてのマーキングが必要なのでしょうか。名乗りをあげている割にはその後の継続メンテナンスが不備で、恥ずかしいことです。お金がなくなったのでしょうか。せめてもっと小さければご愛嬌で済むのですが。
そのあと、棚田の景観が有名な山間集落の田の中を歩いて降りてきました。人を寄せ付ける美しい風景でした。しかし、車で来る見物の人が多くて、農作業がやりづらかった時期があったのでしょうか、真ん中に歩行者用舗装路が整備され、牧柵のようなもので畔に入らぬよう仕掛けがしてあります。納屋のようなところに小さな張り紙があり、「百姓を無断で撮影しないでね」「畔に入らないでね」「百姓にあいさつしてね」と書いてありました。自分を人として認めないで写真を撮られるのは嫌な行為です。ずっとそういう目に会い続けると心が荒んでしまいます。この書き置きは、小さなものでしたが、心に届きました。
いっぽう山中で見たような、大きな字で、誰に届けるのかわからないことばを書いた看板や、誰に届けるのかわからない常套句の演説や、暗記している商品説明や、立場上事務的で無難な共同記者会見の言葉も、浴び続けていると心が荒みます。
歩道の終わりに、「癒されたかのん?」「リフレッシュできたかのん?」という三河弁の看板があり、苦笑いしました。これで素直にありがとう、と思う人もいるだろうし、ああ、こんな既出の癒しポイントにノコノコきてしまった俺は不覚だったな、お騒がせしてすみません、と一本取られるもよし。ドカドカ人が来るところにしては、下段の構えで実にスマートに対応していると感じました。他に誰もいない閑散期に訪問できてよかったです。
棚田を振り返り、全景を撮影すると、景色のあちこちにブルーシートがあります。被災地の屋根瓦の上に、たくさん見ました。花見の時期にも花の色なんか知るか!と言わんばかりの強烈な色彩で主張します。ボクたち隠れませんと伝える非武装国連軍のヘルメットもこの色。天然世界で他にこの色は無く、強く人工物であることを主張する色です。風景写真を撮るのに、なんとかブルーシートと送電線鉄塔を外してフレーミングしようと苦労するのをあざ笑うかのように、「これが現実だ、野暮な風景にしたのは人間だよ」と教えてくれます。ブルーシートが萌黄色や、筵の色、土の色だったら、助かるのになと思うことしばしばです。
こんにちはyoneyama様、強烈ですね
私も東海自然歩道、歩くものとして、人なんか正直ほとんどあいませんよ〜山辺の道あたりと、高尾山周辺でしょうか、かなり荒廃が進んでいる感じでしょうか・・・
四谷の千枚田きれいですね〜私も感動しました
yoneyama様は山をよく知っておりますから、またご指導、ご鞭撻よろしゅうお願いします
ビールのマークがありますが、駅前でこんど飲みますか。
おはようございます。yoneyamaさん!いいの〜、またよろしくで〜す
こんにちは。
本、買いました。読みました。
布団に入ってから眠るまでの間に読むので、4〜5日楽しめました。
会って話を聞いて聞いているようで、会話をしているようで、楽しかったです
今日の日記もそうだけど、風貌がにじむ(日本語おかしいですが)文章はいいですね
それでは、また。
本の感想ありがとうございます。またどこかの沢ででも。
いつもながら同感。
小生の知る限り最高の看板は、草津口から浅間隠山への山道・車道にあった手書き看板です。
『落とせスピード、落とすな化粧』
Yoneyama さま
相変わらず酔いの勢いでの
成長できていないようでお恥ずかし。。。
それより、ainakarenさんの日記を拝見し近いうちに拝読させていただきますね。
話は、、、この日記にて久しぶりに「百姓」という言葉を見て、高校時代の漢文の先生の話を思い出しました。
「百姓の言葉の背景には漢字文化の国で様々な時代背景、文化がある。私なりの解釈は、特に日本の山間部に近い国においては、百のお手職を持つ人々と認識したい」
これを聞いた瞬間はまったく何を言っているのか意味が解らなかったが、
「まず米を作る、野菜を作る、藁草履を作る、竹細工を作る、家具を作る、紙を漉く、機を織る、書をたしなむ、楽器を奏でる、謡をたしなむ、能を踊る、家を建てる、炭を焼く、土器を作る、牛を飼い乳を搾る、赤子を取り上げる、、、」(このように次から次ぎに人間の生活のほとんどの生業を)
なるほど、お店のないところやそんな時代。
また、車などスピードの出る乗り物のない時代には、生活するすべてを自分らの手で、村の人々と生活圏で。
だから里山?
もう一回不便になって工夫することで進歩してみることもいいのかもしれませんが。
私には無理かな、、、
「百姓」を罵倒語と捉える世代もあるかもしれませんが、この看板では、自称ですし、ことば本来の誇り高い意味を込めて使っていると思います。
網野善彦氏の著書で、百姓という言葉の持つ深い意味を知りました。ただの専業農民ではなかったと思いますよ。
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