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しかし、二つの町に住んで奥地の山を歩いて、人は何か重大な思い違いをしているのではないか?という気がして来ました。
戦国期、甲斐の武田家は、最後は尾張織田、三河徳川連合に破れてしまいましたが、始めはうっかりすればやられてしまうほど強く、恐れられていた大勢力でした。両軍の前線は、三河の山際の長篠であり、遠江の山際の三方ヶ原でした。そこは、大きな山の塊を抜けて来た武田軍が、平野に出た出口にあたります。甲斐から長篠や三方ヶ原へ、どこをどうやって歩いたのか。天竜川の峡谷地帯を巧妙に迂回し、赤石山脈の弱点の峠を越えるいくつものルート。今、地形図を持っていて初めて行く気が起きるこの幅広い山地の複雑な弱点を突いて、あれだけの大軍団が飯を食いながら移動し、敵をやり込めているその具体的イメージが、TVドラマなんかの山道シーンでは全然現実感が無いのです。あの人たちは、素足や地下足袋のような足回りで、山地の藪や岩を踏みしめ踏みしめ、山地民たちが使う地形の弱点を巧みにつないだ「目には見えない道」を軽々と辿ったのでしょう。
太平の徳川時代に街道を整備する以前の日本人は、山の中を、魚や鳥が水中、空中を移動するように自在に移動していたのでは無いか?という気がします。実際、「真田丸」の佐助のような伝令係は、敵だらけの街道や目立つところではなく、山中の木地師やサンカのルートを辿り、山を辿って遥かかなたまで最短を行くわけですから。先に読んだ「天狗の研究」という本にも、山中のバス停で見送ってくれた山の人(天狗級!)が、バスを降りたら自分の忘れ物を持って先に届けに降りて来ていた、というすごい話もありました。山の中を近道して、バスより早く行けることもあるわけです。
戦国期の三河と甲斐の距離感から気付きました。
比喩ではなく魚は海で、鳥は空で遠いところとつながるように、人は山で遠くとつながっていた。山さえあれば、別の世界へ自由に行き来ができた。
飛べなくなった鳥は死ぬ、泳げなくなった魚も死ぬしかない。本当の山を歩けない人は死ぬ。これも道理と思います。
以前、山を歩いて山間集落に降りて思ったことを書いた記事があります。このサイト、もうすぐ閉鎖になってしまうそうなので、もう一回、まだ見てない方へ紹介します。
http://www.nhk.or.jp/ecochan-blog/400/215852.html
追記:リンク先閉鎖。以下に転載がありました。
https://shuuei.hatenablog.com/entry/20151204/1449167454
いい詩(ことば)です。yoneちゃん
そういうことなんだと、私も、思います。
”辿った”ってこのことば、いいね〜
「辿」という字は、改めて見ると、山の中の道の意味を示しているじゃないですか!
気が付かなかった。ありがとうございます。
ところで道の字に首があるのは、昔、魔除けのために生首を手に提げて隣の部落に行ったことを示していると、白川静の本に書いてありました。ひ〜!
山の道、ロマンがありますね。修験者、商人、山人、猟師、盗伐者、不治の病の人、泥棒などが自分たちの山の道を持ち、一般の人には判らない目印があったようです(宮本常一さんの受け売りですけど)。
日本の風土の中では、1年も通る人がいなければ道は植物に覆われ、こうした山の道はすでに大方が失われていると思います。
魯迅の小説に好きなフレーズがあります。「もともと地上に道はない。通る人が多くなればそれが道になるのだ。」
山道を歩く人が多くなれば良いですね。
きちんと整備した道はすぐ藪で消えてしまいますが、かえって道をあてにせず藪を漕いでいると、不思議と地形的に最適解のルートというのが人類皆同じで、というかシカやウサギも同じで、結局目には見えていなかった道を足探りで歩いていることに気がつくことがあります。
道ができるところ、集落ができるところ、川を渡るところは、地形的に理由があることが多いと思います。
よねやまさん こんばんは(^^)
「魚は海で〜」う〜ん深い言葉
サンカさんのこと
うちの方でもサンカさんと集落の交流がありました。
祖父から聞いたことですが村の人の便利屋さんで
山に暮らし里に下りては
駄屋や藁小屋に寝泊まりしていたそうです。
生まれた赤ん坊は産湯ではなく川で洗い
強い子に育てた、と何かの本で読み
冷たさもですが、その生きる強さに身震いしました。
宮本常一の「山に生きる人びと」
は中国山地の山の民のことを丁寧に綴っていました。
昭和38年の豪雪により廃村になった地域を
歩いてみると人の暮らした跡が今も見られます。
石垣や炭焼き小屋跡、たたら跡・・・
厳しくもおおらかな暮らしが浮かびました。
とんでもなく昔ではなくちょっと前のことですよね。
ちょっと前ですがその昭和40年頃の大革命はすごく大きいですね。エネルギーが石油に変わって、山の燃料が要らなくなったので、日本の山の使い道が、ガラリと変わったんですね。もう、燃料を巡って山の取り合いをしなくても済むようになっちゃったんですね。おかげで今の日本の山は室町時代以降で最も森林が復活しているそうです。千古の樹林ではないけれど。
山の中のその、暮らしの廃墟、お近くにあるんですね。そういうところ、そっとしておいてやりたいですね。
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