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山梨県の山間に、いくつも武田式城郭跡を訪ねましたが、ここほど形を残しているところはないかもしれません。杉の植林が容赦なく覆っていますが、そのおかげでこの地形が手付かずのまま残っているとも言えます。今、日本中で、住宅地にある古城跡などは無残に壊されているとのこと。ここはど田舎なので、手付かずで残ったのでしょうか。
三河の平野を見下ろす、本宮山の北の台地状の山間の集落の中にあります。作出(つくで)村(現在合併して新城市)という高地です。前回書いた、甲斐からずっと海のように続いてきた「山並み」が三河の海岸平野を前に最後に見下ろしているようなところで、山の民の軍団、最前線の位置です。長篠の戦いで武田が滅びてから、廃城になりました。
昨年の今頃Eテレで放送していた「趣味どきっ!お城へ行こう!」シリーズで、一番地味で、石垣も天守も無い、武田時代の城郭の現存する代表として紹介されていました。
主郭本丸に立つと、ここに信玄や勝頼が滞在していたのか・・・、というイマジンで、心が満たされました。ああ幸せ。
写真1 古宮城 縄張図 趣味どきテキストより
写真2 現地案内板
写真3 西曲輪の上から北面を見下ろす。五重の堀切で防備。
住所は愛知県新城市作手清岳 宮山31の白鳥神社のある小山です。豊橋から車で1時間弱。
おおー。いまだ未攻城の城です。
今度行ってみます。
この周囲の山間集落のたたずまいもなかなかいいですよ。
ヨネさん、おはようございます。
三河や美濃、尾張のほとんどの里山には、砦や山城が築かれていたと思います。
関ヶ原の東、垂井町に菩提山がありますが、ここには竹中半兵衛が城を築いていました。戦略家の武将らしい、堅個な造りで掘割や曲輪間、馬場跡がそのままの地形状態で残されています。子供が小学生のころ藪をかき分けて探検したことがありました。高い山に登れなくなったら、こういう探検も面白そうですね。
竹中半兵衛、美濃の誇る軍師ですね。改めて半兵衛の生涯をおさらいしてみました。この時代の人たちの死生観は、今と全く違うものあったのでしょうけど、共通点も想像しています。僕もいつか、こんな土の芸術を作ってみたいものです。
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