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安久美神戸神明社(あくみかんべじんめいしゃ)は、もと豊橋吉田城の三の丸の豊川河畔にありましたが、明治維新で城址が陸軍第18連隊になった時、連隊敷地外の国道1号線(旧東海道)沿いに移りました。あくみ川というのは豊川の古名です。ちなみに豊橋の名は明治維新で付けた名で、以前は「吉田」でした。「豊」のつく名は戦国期末期に好んでつけられた松、福、徳などの字のひとつと思います。あくみ川が豊川に名を変えたのはおそらくこのころと思います。「安久美」は、万葉かな書き、「飽海」はその後字を変えたもので、地名として残っています。あくみ川ほとりのあくみ神社で1000年続いたお祭りです。
鬼っておもしろい。天狗もおもしろいけど。
ひとつひとつのしきたりの起源や由来は、もう誰もわからないのに、先代から伝えられて体の動作や声調などは継承されていく。面倒くさいけど、だれもやめようと言い出さない。見学者はたくさんいるけど、伝承者はこのひと月くらいは、祭りの準備をいつもどおりに続けてきていた。わけも分からず粉で真っ白になっていた子供も、いつかこれを継承していく。ひとの一生の時限を超えた行いの不思議です。
きょうは街中が粉だらけです。
古い祭りが続けられている町は本当に尊いとおもいます。
青森県弘前市は、日本最北端の鬼伝説があり「鬼神社(きじんじゃ)」でも旧正月には、裸参りがあります。
時には吹雪の中、ふんどし姿の男性陣が老いも若きもしゃっこい(冷たい)水が並々入っている大きな樽に我も我もと次々に入る姿は、見ているだけで凍りそうです。
因みに「鬼神社」の鳥居には、鬼の面があり、また狛犬ならぬ狛魚が参道の両脇にあるのはとても珍しいですよね
また青森の鬼さんは、村人達と仲良しの優しい鬼さんだったらしいですよ。
yoneyamasさんは、青森にお住まいだったからもしかしたら懐かしいかも・・・
弘前の鬼は、岩木山の艮(うしとら)の北東面登山路をおとずれた時聞きましたよ。麓にはええと、イタコさんのいるところもありましたよね。
津軽は最後までヤマトの侵攻が遅かったからその鬩ぎ合いが伝説化しているのかもしれない、などと考えました。今生きている人たちはヤマトと先住民両方の子孫であり、どちらかが関係ない人ではないということを覚えておきたいです。
しかし、ねぷただけではなく、厳冬期もやってるんだ。お祭り好きは、一年おとなしく待てない!
行きました
豊橋3大祭りの1つです。
鬼祭り、祇園祭、羽田祭り。
祇園祭も豊川の川幅が狭いせいか、臨場感バリバリありますよ
やっぱり!しかし、祭りの好きな地域には一つだけじゃなくていくつも固め打ちになっているのが特徴ありますね。
そして豊橋を代表する祭だけど、特徴的なのは、主催する地域が結構もとからの生活集団お隣組で、代々しきたりも人も継承しているところが意外でした。やはり長く続けるにはこれかもしれません。奥三河の花祭りもそうでした。戦後生まれた市民総出の祭りって、なんだかちょっとイベント臭くて。
きょうは真っ白になった服やカバンの洗濯です。
こんばんは。
豊橋という中途半端な街で退屈かなと思いましたが、他所から来た人の目って大切だと認識させられました。
国府宮はだか祭、鳥羽の火祭り、大海放下、半田山車祭り、三谷祭り、田原祭り、浜松まつり、確かに由来までは考えない、地元にしてみればどれだけ楽しむのか!だけです。
豊橋と言えば手筒!万が一参加できる機会があれば是非。
手筒は見るより揚げる、ハマるとやめられなくなると言います。
中途半端な町というけれど、日本中東京以外はどこも、ある意味中途半端と思います。でもその中でそれぞれの町の面白さは必ずあります。僕はどんな「中途半端な」町に住んでも日帰り圏の山で何年でも楽しめる自信があります。
祭りの由来は、結局わからないことに価値があるのですが、わからないながら伝承されている細かなしきたりや動作の意味が面白いと思います。
昨年の手筒の祭りのとき、運悪く長期出張が重なりました。今年は深入りしてみたいものです。
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