|
安田喜憲 洋泉社・歴史新書2015
これは面白い本です。これまで常識だった四大文明はすべて牧畜、麦畑作文明だったが、それは西欧中心の史観であり、その対極に漁労米作文明が、揚子江下流域にあり、気候変動で黄河文明の圧迫を受けて四川、貴州を経てインドシナ、漂流民としてジャワ、日本列島、そしてアメリカ太平洋岸にあったという話。そこでは太陽、柱、玉、蛇、鳥、発酵食品、女王を崇める共通の文明があった。
水耕は水、水は山から、山は天とつなぐ柱。川で取れる玉は山の象徴。鳥は天、蛇は水。文字ではなく言霊など、環太平洋稲作漁撈文明の共通項を挙げる。登山愛好家としては日本の山岳信仰の由来に納得がありました。
世界各地の湖の湖底に積もった泥の花粉分析をするという手法で、6000年前からの気候変動が世界的に明らかになり、文明滅亡の変わり目の原因を気候変動とした仮設。科学の認識の進化は、その測定技術の進歩によるということ。立山のミクリガ池の湖底にパクス・ロマーナの温暖期の証拠があったなんて驚きです。
どうしてゲルマン民族が移動してローマが滅び、匈奴や五胡十六国が南下して漢王朝が滅んだのか、なぜ邪馬台国が突然興るのか、その理由の説明をはじめて読んだ。東西の歴史のリンクが花粉分析による気候変動で繋がった。四大文明が今やすべて砂漠だが、当時は当然緑豊かだった。
現代でも気候変動で飯が食えなくなれば民族移動が起こり、文明が衰亡するのは条件全く変わらない。日本は軍備より、大豆の食料自給を目指すべし。
図説大航海時代
増田義郎 ふくろうの本・河出書房新社2008
「インカ帝国探検記」で読んだ、文章のうまい増田義郎の写真ふんだん本。大航海時代ということばはそもそも増田さんが考えた言葉らしい。コロンブス、マゼラン、クックあたりはいろいろ読んでいたけれど、もっと以前、ローマ帝国金貨の時代からの話もおもしろかった。セウタ攻略戦から本が始まるのだなあ。
困難な成熟 内田樹
内田樹 夜間飛行2015
いつもながらの内田節に飽きもせずに、朝の納豆ご飯のように定番読書。管理部門を作らず維持できる戦闘集団は、150人まで論に納得。労働で、ものを作り出す役割より、安定供給担当者のほうが手取りがいいの話も。
自分にしか書けないことだけを書かなければ埋没する。誰でも書きそうなことを書いていると自分の価値はなくなり代替可能なものになっていく。書評するときも私が書かなければ誰も読まない本に関しては熱を持って語れる。自分にしか書けないことは、自分の感じ方が人と同じであれば書けない。
これは山行記録とガイド文のようなものだろうか。
シベリア出兵
麻田雅文 中公新書2016
先月読んだ何冊かの第一次世界大戦本の続き。100年前のしなくてよかった戦争。日本が間違え始めた戦争。人の喧嘩に割り込む権利=集団的自衛権。数年前まで、シベリア出兵の関連書籍はあまり無かったと思う。
今年はロシア革命100周年なんだよね。ここ10年ほど、100年前の歴史変遷に沿った読書をしている。来年は4年も続いた第一次大戦が終わり、ベルサイユ条約から100年の年。これからの20年は、ナチズム揺籃の時代。
絵が語る知らなかった江戸のくらし農山漁民の巻
本田豊 遊子館2009
日本らしいこと、なんて思い込みをぶち壊してくれる当時の豊かな絵図の物証。熊を捕る凄い罠の図解とか、杣人、木地師の暮らしぶりとか、写真以上にわかりやすい絵図がふんだん。百姓は貧しくて米が食えなかったんじゃなくて、米だけ食う必要がなかったとか、山中、行軍の携帯食干飯とか、鉱山の金掘道具の図解とか、これは面白い。シリーズで武士の巻、庶民の巻もあるようだ。買ってしまおうか。
おはようございます。
明日は『長篠合戦のぼりまつり』
いつも地元民とは違った捉え方に東三河の良さを再認識させられています。
鉄砲隊の演武は迫力満点、実際に訪れてみると武田軍が何故こんなところで決戦に臨んだのか意味不明。
設楽が原と名前は付いているけれど、両側は山に挟まれ真ん中に小川が流れて攻めるのは難しそう。!
一山越えて新城の広いところの方が騎馬隊には有利に思えるのですが、広いところで狙い撃ちにされるのを嫌ったのか。??
話は横道にそれましたが「絵が語る知らなかった江戸のくらし農山漁民の巻」が面白そう、図書館に行ってこようかな。
長篠の古戦場あとは、武田方の何人もの武将の碑も多くあり、近いうちに地形図を手に一日かけて足で歩いて回りたい場所です。車でまわっても見えるものがちがいそう。武田方の戦没武将の居館跡は甲府で訪ねてあるので感慨がありますよ。
信玄晩年の野田城攻めのときなど、長篠より遥かに豊橋寄りを攻略していますし、そのときの前線本部が吉祥山麓の今水寺ではないかとか、仁連木や吉田城あたりにも武田軍が来ているとか何かで読んだのですが、もっといろんな古文書が出てきていろいろわかると面白いですね。
そいえばこのまえ田原城をはじめて歩いてきました。堀切や土塁が思いがけなく残っていて想像が膨らみましたよ。近くまで三河湾の水が来ていたそうですね。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する