老いた父とTVを見ていて、久しぶりに意見のぶつかりがありました。
「普天間基地からものが落ちてくるようなところに学校があるならどかせばいい」というようなことを自信堂々と言うので、「住んでいるひとにはそれなりのいきさつがあるわけで」とか「自分の家が焼かれて、そのそばに米軍基地ができて何十年も待っても返してくれない人の気持ちだって想像したら」とか、ついむっとして言い合いになってしまいました。こんなことは何十年ぶりか。二人にとって沖縄基地は直接は関係のない世界なのだが。
今年の夏病死しかけて生還した父は83歳。私とは30年ずれた前時代の日本を通過してきている。尊敬するお父さんが、「困っている立場の人の窮状の歴史背景を想像する力がない」のに少々あわてたのだ。
年をとるとそんな余裕がなくなるのか?以前は抑えていた外には出さない「言ってはいけない本当のこと」を隠すことができなくなるのか?
老境とは私の知らぬ30年後の未知です。未踏の領域を前にしたときは、こちらのこれまでの手法だけには頼らず、予断せず、注意深く観察し、なりゆきを見なければなりません。
でも家族だから、そろそろカッコつけるのに疲れたのなら、好きなこと言っていればいいんだよな。いまは、こちらが「そうだねえ・・」なんていわなきゃいけない立場だったワ。
さっきまで何かイライラしていたのに、文章にしたらスッキリしました。
「普天間基地からものが落ちてくるようなところに学校があるならどかせばいい」
その通り!
普天間基地をどかせばいい。
以前は抑えていたのに抑えられない本音が出る→わかります〜
今年父が4回も入院してましたが大阪の病院で見はなされている状態。プロの私のゆうことも全く聞かないとゆうのが年寄りの特徴か親なのか?情けなく最後は仕事でお世話になってる京都の病院に無理矢理入院させてもらい、奇跡的に助かり退院しましたが、診察室でも嫌なものは嫌というし、普通ならそのまま診察拒否で退院のはずが。よい先生で、お父さんが手術拒否されてますよと、その都度メールで知らせてくれて、父は認知ですから無視して治療してくださいと返事してから全員で説得にいき、また診察室で一人だと拒否するの繰り返しでかなりイライラしましたがもう諦めました。生きるも死ぬも父の勝手です。平均寿命超えてますし、介護サービスも拒否、お金の管理もできないけど、父のわからないところで助けるしかありません。
赤瀬川源平のいう老人力なら、スペードのエース級ですね。老いて幼児に戻るのも長寿者の特権です。
居場所ってのは意味と理由がありますね。なんでわざわざそんなところに住んでいるのさ?と問うときの無知、問われるときの言いようのない無力感。ほかにもたくさんありますよ。日本中に。
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