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最近、播隆上人の槍ヶ岳開山(1828年)に関する、槍ヶ岳山荘の穂苅さんの本を読み、19世紀初頭の日本の開山熱に興味を持ちました。こういう本を読んでいると江戸時代の元号のリテラシーが無いと結構時間軸が西暦とつながらない。
松本城主の歴代が頭に入っていると、町の歴史事件がどのへんで起きたのかがリンクします。歴代松本城主の家系は、徳川家の三河の親しい家臣が多く、私が2年前に一年だけ過ごした豊橋で、仁連木城や田原城をまわっていた経験が今につながりました。
播隆上人の初登は、もちろん島々からではなく、三郷村小倉(現・安曇野市)の鍋冠山ルートでの上高地入りです。この鍋冠−一日市場駅間は今年の5月に歩きました。今は別の車道があるので廃れていますが、地形図で素直に行くと直登ラインです。古い道のあとや、山の神もありました。
登山愛好家54歳、こんな本に熱中して、これから何を始めようというのか?何もわからないけど、引力に従うまでです。
yoneyamaさん、こんばんわ。
強く同意します。。方向性は違うけど、
私も引力に従います。。(笑)
現在、いろいろまとめて、ぼちぼちと歴代天皇の寿命と治世を
西暦にあてはめて日本の古代史がしっくりくるように
してみようかと。。。全然進んでませんが。
本の知識と自分の知識。歩いて旧い史跡や古くからの
人の営みに出会う楽しみ。ってところでしょうか。
古代以来寿命がはっきりわかっている家系として、天皇家は唯一無二ですね。やはり西日本にゆかりがあると、古いとこまで行きますね。
知識に加えてどこでも歩いてというのが登山愛好家の強みです。
鍋冠山〜大滝山〜蝶ヶ岳が未接続ですね。
上人、梓川への下降路はどう採っているのでしょうか?
1820年ころ着工で、三郷の小倉から大滝山経由、上高地からは中尾峠越えの飛騨新道が開削されました。1828年開山のすぐ前です。竣工は1835年。幕末には台風で駄目になりなくなったようです。上高地では当時、たくさんの杣が伐採作業をしていたようで、播隆はこの新道にかなり助けられたようです。昭和16年「山岳」別刷の「神河内志」よりの図では大滝山→小滝→池ノ窪→百曲→古池→明神池と、地図があります。東大雪の伐採林道飯場に厄介になって石狩岳初登をした北大山岳部の1920年代みたいな感じかもしれませんね。
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