今週は、宝暦8年、藩主戸田光徳がお国入りして弓と鉄砲の実射ご覧になるから支度しておけよという内容の申し渡し書の解説でした。火薬が足りないから都合してくれ、とかそれを前例はあるかとか、詮議するから待てとか、埒が明かないとか、ああ、宝暦年間の小役人たちが、どうでも良いことだけど首が飛ぶことであれこれストレス胃炎になっているのが想像されます。なんでも書いておくと面白いものだよなあ。
記事の地図で、ウチの実家から歩いて5分のところに二箇所、矢場があったことがわかりました。天白の矢場と、西町の矢場。西町の矢場は城下の外れで、大門沢川の岸辺のところ。子供の頃よく水遊びをしたところでした。
江戸時代の元号40と、松本藩主23人の名前を全部脳に印刷してあるので、こういう記事をスイスイ読めるようになりました。光徳(みつやす)というのは戸田家の三代目だな、と。ローカルヒストリイというのは、実存する町並みや社寺や墓石があるので大変おもしろいです。
しかし戸田家の9人140年は読みに苦労します。
光慈みつちか光雄みつお光徳みつやす光和みつまさ光悌みつよし光行みつゆき光年みつつら光庸みつつね光則みつひさ。
すんなり読める名は、ミツオとミツユキだけでしょ?読めない名前つけるのは日本の伝統みたい。
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