仏教の本を読んでいたら、苦しみや怒りを克服する実践的な手段としての「行」のことが書いてありました。自分でも時に抑えきれない怒りを、どう制御するか。不安や緊張や不愉快な気持ちをどう克服するか。仏教ってかなりリアリストというか実践的なんですね。宗教的ではない側面がかなり多いと思います。
瞑想や座禅は一見、癒やしやリラックスに見えるけど、実は「何が何でも透き通った心を手に入れるぞ」という決意で熱くやるものなんだそうです。リラックスはあくまでその結果なのだそうで。
一休さんが「慌てない慌てない」とかいって指でこめかみに触れたあと、指を組んで目を閉じる。木魚の音まで聞こえるあの超ワンパターンマンネリ、頓智を出すためのお祈りではありません。あれは普段おそらく朝イチで同じ時間に飽きるほどやっている同じパターンであり、今時の言葉で言うとルーティーン。あの「型」に身体精神をはめ込むと、自動的に、落ち着いて感度の冴えた心の状態を取り戻し、最高のパフォーマンスを引き出せるというわけです。イチローやゴローマルのあのポーズと同じで。
簡単な行としては「めがねを拭く」というもの一つとっても、右の端から始めて左へとか、自分なりの不動の手順を決め、全く同じ方法で必ず毎日第一優先で繰り返す。そしてピンチの時にそれを行うと、心が澄んだ基準値に戻って、持てる能力を発揮できるというわけです。
仕事人なら仕事道具を毎朝必ず汚れていなくても磨くとか。バレエダンサーならみっちり時間をかけて一つ一つの筋肉を意識してストレッチをする。そういえば昔のおばちゃんは必ず玄関を掃いていました。お掃除というのは、きれいにすること以上に、毎日のルーティーン「行」として最適なんですね。
毎朝ご飯の支度をするのもそれに近い。でもワンパターンではないな。「毎朝包丁を研ぐ」というのを入れようかな。そうか、顔洗い歯磨き髭剃りもそうだったんだ。村上春樹の話ではそういえばアイロンがけがよく出てくる。
山ではどうだろう。ピンチのとき澄んだ心に戻せる「行」があれば、焦り、苛立ち、誤作動のループから解かれる。カーっとしなければ生還できる可能性はかなり高まる。山でのピンチのほどんどは、一瞬の判断を問うものではなく、「一休さん」をやるくらいの時間の余裕はある。「一休さん」は道具もいらないしどこでもできる、かなり汎用性の高い行だと思う。
どうせ死ぬのになぜ生きるのか (PHP新書) 新書 2014/11
名越 康文 (著)
yoneちゃん、おはようございます。
私も車にワックスよくかけますが、まさにその通りです。”無の境地”とでも言いますか
車にワックス一回もかけたことないけど、やってみようかね。行といえるほどの頻度はできるかどうか。
こんちは
クサカ青年がリップクリームを塗りたくってました。
吹雪の中でも、地図を見る前、仕舞った後。
なんでこのタイミングで塗るんかなぁと思ったほどに印象的な所作だったけど、見てる方も安心できたのを覚えています。
メリークリスマス
見る前としまった後とは、念入りだわね。妙なことは覚えているもの。行者の風采相応しいね。
ホワイトアウトで地図見るの、いくつになつても平静は難しい。
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