顔を合わせてもあいさつのひとことができない人、必ず遅刻ぎりぎりに来る人、偉そうな口調がどうしても抜けない人、いろいろいます。
以前は、「そんなことではあちこちで困ると思うよ」くらいは言ったし「失礼だな」なんて腹を立てたりもしましたが、最近はある思いつきがあります。
発達障害についてTVで特集していて、「どうしてあなたは普通にできないの?」「普通ってなに?」というやりとりで、たしかにそうだよなあと思いました。
本人にはどうしようも変えられないけど多くの人には奇異に思える病状というのがあります。障害者と共生しようというのなら、こういう形に見えない障害の存在とも共生していかなければならないと思いました。問題の人と思っていても、何かの障害なんだ、と気づいてしまえばあるいは捉えてしまえば、腹が立たず、慈しむようになります。それはこちらの気持ちの安定のためにも必要です。
キーワードは相手に対する敬意。どんなに怒り狂っている人が相手でも、こちらは怒り狂わないように。
〇〇障害。食い過ぎ、万引きでさえ病気で、苦しんでいる人もいる。アル中も、ヤク中も、まあ迷惑だけど本人も苦しんでいる。他人にはわからない苦痛。
どんな人にも敬意を払う。「こんなやつ死んだっていいんだ」って言っていい人はいない。どんなやつにも大切な人がいるんだって、ぐっと思い出す。
自分もきっと何かの〇〇障害で誰かから鬱陶しく思われている可能性を忘れないこと。登山中毒障害?
確かにと思います。
しかしとも思います。
人を殺して障がいが認められるから減刑されたり、無罪になったり。
もともと人が人を殺すときは正常ではないと思います。
「ぶっ殺してやる。」と叫んで殺人罪。でも本人はそなこと口にした覚えがない。
と思いながらも人類は人も含めて他者を殺して今があります。
すいません。
話がおかしくなりましたが、障がい、病気を理由に殺人が許されるのはおかしいと思います。
話がそちらではないのですが、他者に対する敬意のはなしです。
罪が許されるかどうかという、当事者以外の、関係ない人の話ではありません。
極端な話、ひどい目にあった方は相手を恨んで生きるより、相手を許して生きる可能性を探す方が幸せだと思います。他者を変えることはできない。変わるのは自分の心だけだという話です。当事者の心の話です。
yoneyamaさん
すいませんでした。
趣旨を承知の上でつい「障がい」に反応して投稿してしまいました。
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