今年は令和何年だっけ?がすぐわからなくて考えた。多少とも近現代史に関心があれば、西暦と元号の変換は頭の中ですぐできる。でもそれは歴史だから。では「いま」はいつから「歴史」になるのだろうか?
明治元年は1868、大正元年は1912、昭和元年は1926、令和元年は1989。1900年は明治33年、20000年は平成12年。これだけ覚えていればだいたい引き算足し算で、この人の青春時代はこれこれのころか・・・などと誰かの人生の社会背景や同時代人の世代差までわかるものだ。
自分の直接憶えている節目の年でも、1968、1976、1980、1984、1989、1995、2001、2008、2011、など西暦を聞けば竹の節のように何かが想起する。
コロナの年2020はどうだろう?令和何年だっけ?令和元年は西暦何年かを、まだ確認していなかった事に気がついた。
おもうに、10年くらい経たないと、歴史として意識のアーカイブに入らないのかもしれない。1945年の大敗戦のあとの10年は、周囲にはまだナマナマしい惨禍がゴロゴロしていただろうに人々は、そんなものは見たくもないという内面もあっただろうけど、完全に気持ちを入れ替えてしまっている。まだ残留孤児も戦災浮浪児もいたし、シベリアにもグアムにもルバングにも残留兵はいた。PTSDも、その逆もうようよいた。
戦争を思い出して、ホコリを払って見えるところに置き始めたのは10年くらいかかってからだろうか。その10年の塩漬け時間の意味は何か。塩をふらなかったものは、朽ちていったのか。
思えばコロナは、私が初めて体験した「怖い社会」だった。病気が怖いんじゃなくて、人間が怖いと知った。この社会、とくに日本はいつでも容易にファシズムに傾くなと思った実体験だ。震災もテロも、その場にいなければある意味人ごとだが、パンデミックは違った。
あの異社会をきれいさっぱり忘れてしまって、まだ5年か。
最後の1行、私も同じような感覚をもっております
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