なんと松本は廃仏毀釈の最過激地域の一つで、藩内の寺の76%が打ち壊されたという。
あの開智学校の校舎の柱は、藩主戸田家自らの菩提寺だった全久院の廃材利用なのだそうで!!
中でも驚いたのは、信濃日光とまで呼ばれた高僧の行基、8世紀の開基の古刹、若澤寺(にゃくたくじ)の話。善光寺くらい古く伝統あるのに、明治の廃仏毀釈で打ち壊し、宝物は散逸、今は麓の寺に三つしか残っていない。
奈良興福寺の散逸した国宝級は今の倍はあったという。薪にされたり、海外へ流出した。興福寺のシカまでスキヤキにされたという。
鹿児島、隠岐、佐渡、苗木(岐阜)などでは100%近い破壊が行われ、その後も寺が圧倒的に無いとのこと。
まさに革命。タリバーン、バスティーユ、紅衛兵、ポチョムキン。
明治三年からの一年ほどの間に、忖度官吏たちが神仏分離というだけの法令を拡大解釈して文化財を破壊した。
その中で壊されまいと短気起こさず理屈を並べあくまで抵抗して破却、還俗を免れた、浄土真宗・正行寺の住職を中心としたいくつかの寺の話。
若澤寺のある梓川右岸の山は、京都の清水寺より古い清水寺もあり、山岳修験系の寺院がかなり古くからあるみたいだ。そろそろ尾根末端から古刹経由で鉢盛山へのルート、いってみようかな。今週は霙雪がどっさり降って、盆地周囲の山は、白く粉をふいている。
yoneyamaさん、こんばんわ。
廃仏毀釈の話はなかなかに面白そうですね。
なぜ明治維新に仏教が弾圧されたのか。
その辺は平安時代の神仏混交にまで遡らないと
神社と寺院が住み分けられている現代人の
我々にはなかなか理解しがたいものがあります。
最近、ちょっとその辺の件についても
興味を持って勉強中ですので、面白い本の
紹介をありがとうございました。
機会をもって読んでみたいと思います。
江戸時代通じて長く寺は戸籍通じた住民管理業務で政府からの特権があり、仏道とは掛け離れた破戒僧が信望を失っていたケースもあり、そこに儒教や水戸学派などの過激派が、チャンス到来と、仏教弾圧の流れができたようです。
でも、お宝の破壊は、誰のためにもならないですね。
本、大変読みやすかったです。
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