コロナ後の世界の価値観について。20世紀を通じて徐々に積み上げてきた価値観と文化の多くが、どれも禁じ手になりつつある。比較的突然に。それも長期に渡って。終わるまで我慢、終わったら復帰という展望は語られても確かな保証はどこにもない。震災や水害と違い、風景は変わらぬまま多くの人が死に、誰もが例外ではなく、安全地帯はない。
今は未練いっぱいで先のことなど想像もできないが、忘れてしまっているだけで、これまでも人々は世の常識を知らずのうちに変え、前のことなどすっかり忘れきって来たではないか。私は忘れないぞ。
これまで100年で築いてきたやり方、学校、通勤通学、イベント、都市部での楽しいもの全ての魅力が失せていく。1918年の経験に習えば数年で納まるかもしれないけれど、手も足も出ない悪性ウイルスの蔓延する周期は狭くなっている。都市の恩恵、文明の恩恵が褪せていく。
20年ほど前から、100年前の事件を中心に毎年歴史を読んでみていた。20世紀の初めころの社会の変化は今に負けないくらい大きく決定的だったと思えたから。1918年、世界で5000万人が死んだスペインかぜは、第一次世界大戦の戦禍に隠れていた。マックスウェーバーやグスタフ・クリムト、村山傀太が亡くなっていた。日本では1923年の震災で風景が変わり記憶も塗り替わってしまったのだろうか。
地球にとっての人類は、いまや疾患をもたらす悪性のウイルスそのものとなってしまっていた。増殖する疾患細胞の都市。温暖化という長期的な微熱、環境汚染という醜いケロイドのあと。コロナは地球にとってはウイルスである人類の活動を抑えるワクチンであり、地球体内の免疫が機能したのかもしれない。人類よ、毒性を抑えよ、と。いまインドでは大気が澄み渡り遠くからヒマラヤ山脈がよく見えるという。交通の遮断で、グレタ嬢が訴えた航空機燃料の浪費問題は唐突に消えた。花見客のいない桜がなんと美しいことか。我々ウイルスは悪性になりすぎた。いま、我々ウイルスは藻掻いている。もっと宿主に優しい、共生できるウイルスは多数ある。優しいウイルスに変異していくしか無い。
登山愛好家的視点から次代の転換を展望してみる。
・遠距離の自由な移動と流通の抑制。→遠くの山ではなく近所の裏山へ。
・大人数での集会の抑制→単独登山、不人気な山登山へ。
・サービス産業の衰退→山小屋や整備登山道、山麓温泉、ガイド登山を当てにしない。無銭登山へ。
・医療インフラの衰弱→遭難禁止、絶対自力下山。
全体に、登山者の自立化が必要になりそう。山は山本来に戻るということ。また、都市で働き、遠くの山へという形態は当分厳しくて、その環境(サービス)は長期化によって無くなっていくかもしれない。自分だけの山を、それぞれに探すというのはどうだろうか。
これまで人やサービス(つまりお金)の助けでかろうじて登れていた登山者には、登山のハードルは上がるかもしれない。そういう時代だったんだな、と思い返すことになるかもしれません。
ヨネちゃん、おはよ
やっぱ哲学がある
お金っていう絶対的権力?力?(そうじゃないんだけど、そう思ってる人が多い)っていうか便利さをお金で買う時代、もう、一度、終わってもいいころだと思います。
地産地消、で、いいじゃないの♬地味目な生活もいいと思う
実は、私、バブル世代なんですけど
ぼくたちジジイだからそんなこと言うんだけど、若い人にはキツい時代っすよね。イトーさんには裏山があるから動じないね。素敵な裏浜も。
yoneyamaさん、こんにちわ。
今回の騒動でふと頭に浮かんだのが、
全世界の人々奴隷化とか、
全世界共産主義化というワード。
命は守ってやるけど、いうことを聞け、
そして文句言うな、少々乱暴でかなりの
割合の人間が死ぬけど、それはお上の
責任じゃない、、、、、みたいな。
冷静に、深く考えることは大切ですね。
100年前を辿ると、1918年パンデミックの10年後には世界大恐慌、20年後にはナチズムとスターリニズムに民衆は自ら命を委ねて破滅しました。それを知っているので、歴史を丹念に読んでいるのです。
yoneyamaさんお久しぶりです。
yoneyamaさんの考察に腑に落ちるものがありました。
人間に対するコロナウイルスは地球に対する人類とのアナロジー。
日本では人口当時5500万人の4割のが感染し40万人が死亡したという1928年発生のスペイン風邪については無学・ノー天気な自分は知りませんでした。お恥ずかしながら今更ながらWikipediaで知りました。
市の事業停止で趣味の活動(小生の場合は詩吟(自主稽古中に自覚したのですがすごく唾が飛ぶ)と水泳)がなくなり近くの図書館も(今は再開しているのですが)3月中は閉鎖で外出もしなくなって暇を持て余していました。車で30分余り走行したところから登る里山(山無し県第2位の茨城のことゆえ長野のとはスケール違いますが)単独たまに連れ合いも誘って登っていますがこれがいい気分転換と運動になっています。
ヤマレコ会員諸氏の中には運動不足を嘆くむきも見受けられてそれからすれば有難いことです。
ノー天気な何も裏付けのない楽観論ですがコロナウイルスの収まるのを念じています。
tak1155
スペインかぜ1928→1918ですね。
茨城県は本当に山が遠くてこんなときにはお気の毒です。でも、あの真っ直ぐな海岸線、なにかあるぞう、と僕なら思います。豊橋で暮らした1年では、あの渥美半島の海岸線でずいぶん楽しい思いをしましたよ。無人で手つかず、というキーワードなら、どんなところでも野生を発見できる希望を持ちたいです。筑波山だって、道ではないところ、案外自由な山域だと思いますよ。
yoneyamaさん、こんにちは。
自分だけの山…自分にはあってよかったと思います。身近な山の良さを深める時間と思って楽しみます。
私はこの感染症の流行は増えて尊大になってしまった人間の淘汰が来たかと思っています。でも、ウイルスも居場所が無かったら死んじゃうので、きっとそこそこ淘汰してそのうち融和・親和するのかなと。でも、その淘汰される人間として死を受け入れられるかというと難しいですね。
ミニさんは自分の山を持っていますからね。遠くへ行かなくても済むのはやさしいウイルスのたしなみですね。自分の死というのは受け入れるも何も、全員必ず訪れるものではないでしょうか。
わざわざ遠くの山に大枚はたいて行くより、近くの川を地図を片手に、歩いてたどって山に行く。
そんな山…わくわくしますね。
それでいいのではないでしょうか。
ハードルが上がるのではなく、より自由になると感じます。
いま、家の近くの女鳥羽川の水がきれいで、岸辺の草も青くなって、鴨も鷺ものんびりしていていい雰囲気なんですよ。おっしゃるとおりの山行をおにぎりもって行こうと思っています。
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