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その鍵になるのが今は廃れて顧みられない「郡」です。郡とは山で区切られ、ある川の流域の地域共同体であることが多いです。川が大きい場合には両岸に分かれます。
郡民をなにか田舎臭いものと避け、近くの市に合併したり、集まって新しい市を作ったりして、平成大合併以来滅びる郡のなんと多いことか。地名を失えば歴史も失う。
転勤で住むよその街で、忘れられ改名された郡域を調べるローカル地歴研究に図書館本が欠かせません。二冊借りました。
滅びた地名と社寺仏閣にその痕跡があり、町を歩くに連れ400年前の地形がイメージされてきます。これを固めて、周囲の丘陵地と猿投山脈へと歩いていく予定。
尾張国の場合最強メジャー武将の信長の青春時代の戦いの舞台なので、結構研究熱心な人も多くて、楽しそうです。
16世紀、木曽川は今のように一本化していなくて、中島郡、葉栗郡、海東郡、海西郡は広大な三角デルタの中洲連合になっていてそれぞれが島のようになっていた、水害もあったが水運にも使えた。島のつく地名がすごく多い。
以前読んだ歴史的な森林破壊に関する書で、塩鉄製造のため戦国期以降山林の伐採が進み、流れ出た大量の土砂で伊勢湾、あるいは三保の松原など遠浅が砂で埋まって行ったとあり、日本の古典風景と思っていた白砂の松原は、環境公害の結果の防砂林だったことを知りました。燃料輸入時代以降60年、日本の山の森を切らなくなり砂浜海岸が消えていくとか。
yoneyamaさん、こんにちわ。
塩鉄製造のための戦国期以降山林の
伐採が白砂青松の風景を作ったという
説は興味深いですね。
今はダム建設で土砂流出が減り、
砂浜海岸が後退しているらしいです。
名古屋郊外は都市化のスピードが早く、
歴史的な地形が埋もれてしまいがちなのが、
ちょつと残念なとこです。( ´ ▽ ` )
宅地化と、幅広道路で、タイヘンな想像力が必要です。広大な敷地だった寺や神社。片側5車線もある道路を渡る時、そのほとんどの敷地に狭い間口の細長い家に人の営みがあったと想像します。
ヨネちゃん、お久です。
おもろルートまた探して?発見してくださいね?名古屋から猿投山、沢はないんで、わたし後追いしますわ
瀬戸から豊田へ、尾張国春日井郡から三河国賀茂郡へという国越えルートでござる。猿投神社も参拝ですよ。
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