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曲輪の規模も石垣の規模も枡形のデカさも、櫓の数も、6万石のわが松本城どころではない。本丸、二の丸庭園、御深井(おふけ)曲輪など丹念に回っていたら半日かかった。天守の高さ自体は30mちょっとでそう変わらないけど、その下の石垣だけで20mは、かなわん。クライミングはノーザイルで行けそうだけど最後はハングしている。石落とされて墜落したらかなわん。
二年前に完成したという本丸御殿も時間をかけて拝見。建築も唸るが、模写復刻の壁絵、襖絵、欄間、天井絵とおみごとでした。顔を近づけられないので次回は双眼鏡を持っていこう。エルミタージュ並の金色だ。薄暗い室内で、金の地が放つ光で絵が浮かび上がる。
天守は1959年のコンクリ製で建て直す予定だそうです。飾りだから、外から見るものなので登れなくてもまあいいです。いまの天守が耐震診断で入れず、中の宝物や城のパネル展示などができないので、今急遽、西の曲輪に宝物殿を作っているとのこと。
それにしても1945年までは天守も本丸御殿も、その美術品も、枡形の多聞櫓も、枡形門も全部400年前の本物が残っていたのに、馬鹿な戦争で燃やしてしまって本当に情けない。
搦手馬出曲輪北側の石垣が膨らんできたので、もう10年くらい、時間をかけて石垣をばらして積み直す工事をしているそう。空堀の中にはたくさんの石が番号つけて並べてあります。なかなか興味深いことです。二の丸庭園の池と築山のあたりも修復途中の工事していました。これは明治期に陸軍の師団司令部が置かれた際、ぶっつぶしてしまったとのこと。どこまで復活できるのか?気長に待ちましょう。とにかく二の丸、三の丸がデカ過ぎて、本丸自体が大小6つの曲輪に囲まれて天守は結構引っ込んだところにあるので、名古屋城天守は、町からなかなか見えないところが、松本城と違う。高速道路からは見えるけれど。
松本城1593年、名古屋城1612年。20年だけど、城を造り馴れて技術進歩も進んだのだなあとわかった。変革の時代だ。20年前来たけれど。見る目がなくて何も見えていなかった。何度でも来ればいい。
ミュージアム書店で名古屋城関連の本を2冊と、市の観光ビュローに自転車こいで行って、信長攻略というキャンペーンのパンフを貰ってきました。ノブナガ史跡巡りを、名古屋市が結構力入れています。これも面白そうですよ。ノブナガは、イエヤスが築城する前の那古野城で幼少期20年住んでいたって話です。
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