明治維新1868と世界戦争敗戦1945。日本の社会制度が変わる大変革の間隔は77年でした。そして次の77年めが、2022年です。いまは疫禍、環境危機、技術革新で大変革期に違いはありません。このことで最近考えたことを少々。謎の変革期周期説ではありません。
過去の変革期との周期の一致で間違いないのは、そのとき社会を構成する世代の前回変革期経験者の割合です。現在、1945年に20歳以上だった人はほとんど居なくなり、戦争の記憶を聞ける老人は、当時幼児か10代だった人だけになりました。1945年当時もやはり維新、幕末の混乱の、綺麗事ではない地べたの記憶を持つ人はほとんど居なく成っていたということが想像できます。「国家規模のカタストロフィは、前回のカタストロフィの体験者がほぼ居なく成ったあとにやってきた」ことがわかります。
このことから、1945年当時今の私の年齢56歳だった、社会のリーダーシップを取っていた世代の幼少期、青春期、壮年期などを想像しています。中学生で日露戦争、青春期に大正デモクラシーと近代大衆文化、子供ができた頃に震災と働き盛りに世界恐慌、その後のオッサン期にファシズムで、60前にして変革期カタストロフィ。息子がいればガダルカナルやレイテ島で戦死する頃です。
変革期を跨いだ人の本も最近よく読み直します。
●福沢諭吉は、14歳まで全く勉強をしていなかったが俄然、寺小屋で学問を始め、何日も眠らずに仲間と合宿のように勉学に励むような暮らしを続け、ついにオランダ語の読み書きを習得した。江戸に出てみたらオランダ語はもう駄目で、これからはエゲレス語の時代だと知り、また門を叩いて一からやり直したと。上野の山で西郷さんが大砲をぶっ放す音を遠くに聞きながらひたすら集中して洋書を読んだという(福翁自伝・岩波文庫)。
●柴五郎は幼児期に会津戦争で家族をほとんど失い、朝敵藩士の子として流刑地に送られ、ほとんどが餓死凍死した。努力と縁と運を頼って学び、陸軍幼年学校から頭角をあらわし、義和団事件の際北京で55日間孤立無援の籠城戦を指導して国際的に一目置かれ、日英同盟締結の信頼の元になったと言われた(ある明治人の記録・中公新書)。
ちなみに維新のの77年前はと調べると、だいたい天明の飢饉。屍累々の地獄ぶりでいうと、後の2つにひけをとりません。御嶽山や槍ヶ岳の信仰登山はこの飢饉の社会不安なくして盛んにはならなかったのではないかと思っています。
yoneyamaさん、こんばんわ
yoneyamaさんの書かれるヤマレコの「日記」は、一味違いますね。いつも感心しながら読ませて頂いています。
さて、日本の次の変革期はすでに始まっている、と私は思っています。それは「日本の人口が限りなく減少する社会」への変革。2010年頃に変曲点があって人口がピークアウトしており、すでに毎年数十万人が減っていく状態が進んでいることは、いくつかの書籍で警鐘がならされています。
明治維新やWW2敗戦は、鋭角的な大変革ですが、今回の変革期はだらだらと続く鈍角的な変化なので、人々の意識には大きな影響を感じさせない、サイレントな変革です。
慢性疾患のように、いつのまにかどの街も衰退していくのでしょうが、山々はどうなるのでしょうね?
明治以前の、人がほとんど踏み入れない自然の山々が復活していくような気もします。
・・おそらく私の年齢では、その時を見ることはないでしょうが、、
人口の増減で言えば、日本の人口は戦国時代まではほぼ変わらず、江戸時代に徐々に増え、維新後爆発的に増えたのですよね。それだけのメシを作れるようになったから。なんだか地球という人に巣食ったがん細胞が人類で、いま、コロナというワクチンを振りまかれているのは人類なのではないでしょうか。
日本の山で言えば、明治以前のほうが人がびっしり踏み入っていました。薪を取るためです。燃料はもちろん、製塩、製鉄から何度も禿山になり、そのせいで日本の山は松ばかりなのです。原油輸入して薪をやめて60年。今が一番天然林がフサフサかもしれません。人々は登山道にしかいないほど、山に経済的関心がないので、どこを歩いてもだいたい殺されることもありません。
yoneyamaさん、こんばんわ。
天明飢饉は自然災害に人災が加わったものだけど、
明治維新と太平洋戦争敗戦は外的要因が
強く、そういう意味では来年の変革期は
コロナ後の世界秩序の変容によるものと
いえないでもないです。
例えば、今年の末に中国に占拠されて、
なんてこともあるかもしれない。
インパで核の撃ち合いがあるとか。
なんか、ぶっそうな話ですが。^_^
外国情勢を入れるとまさに僕には予測不可能です。維新も世界戦争も、日本がボヤボヤしていたりカッカしていたりしたせいなので、外のせいばかりにもできません。今回もボヤボヤしていますよねえ。占拠主がアメリカから中国に変わるだけですが。
何があっても日本の国民食はラーメン(中華)とカレー(印度)です。
1945年に56歳でカタストロフィを迎えた人は、、ヒトラーとチャプリンだった。今更気が付きました。!
Yoneyamaさん
福翁自伝は私も青空文庫で読みました。内容で一番心に残ったのは福沢諭吉の母親のことでした。諭吉の父親が死んで母親は諭吉らの子供を連れて大阪から中津に戻り、それなりに苦労したと思います。中津にいる時、母親が乞食の世話をして子供の諭吉に乞食の虱を潰させという話もありました。諭吉の兄が家を継いで、一旦、諭吉は養子に出ますが、その兄も女の子を残して亡くなります。兄が残した女の子は中津にいる諭吉の母親が面倒を見ます。そして、諭吉が福沢家を継ぐことになりますが、母親は諭吉の江戸等の遊学を認めるという心の広さを持っています。このような母親がいたからこそ福沢諭吉という人物が誕生したのだと思います。後で、諭吉は政府から外国への視察のための支度金をもらいますが、半分を中津にいる母親に送金したそうです。
150年違うだけで常識が違いますね。乞食、よく死ぬ身内など状況の違いや、江戸の往復は徒歩だったり、支度金の額と現実実生活の感覚とか。いろいろな環境を調整して読むと、物事は簡単ではなく、常識も普遍ではないことが面白いです。簡単に象徴的に記憶されている事象は、細部を読み加えて実相に近づき、実相に近づくほど真相は誰にも断定できはしないのだと気づきますね。
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