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親の仕事は一体何をしていたのか、たいてい息子や娘は勤め先くらいしか知らない。自分が仕事をして30年たって、やっと俯瞰ができる頃に、はて、父はどんなことをしていたのかと気になるが、大抵そのときはもういない。うちは幸いまだ生きていて、この前改めて取材してみた。聞かないと話さない。質問力が無いと、聞けない。
市の水道局だった。働き盛りの大仕事は、松本市の水道の抜本的な整備だった。以前は市内でもまだ井戸水が普通で、うちも井戸水を使っていた。松本旧市街地は湧き水が豊富だ。それまでは島内(奈良井川と梓川二股の三角地帯)の湧水地からポンプアップした犬甘城山にある貯水槽が唯一で、給水範囲も旧市街の狭いエリアだけだった。
昭和50年頃、ちょうど中央アルプス北部、奈良井川源流に治水のため作った県営の奈良井ダムの水を松本市内の地下を南北に縦断して反対側の市北西側の丘の上の貯水タンクに運んで、松本塩尻一帯をカバーする水道供給システムを作ることになった。働き盛りの40代に電気技能の技術系の責任者になっていた父が、この仕事に携わった話を聞いた。完全に重力だけで給水できるようルートを作り、電気を無駄に使わない設計に工夫したそうだ。「これで松本はずっと水の心配が要らなくなった」と言った。
周囲の丘陵はくまなく歩いているので、場所を聞けば、ああ、あれがそのタンクなのかとわかる。その直系1m、地下深くに埋めた長大な送水管はいったいどこをどう通っているのかと聞けば、普通の人は全く知らないけれどあそこの下をこう通っているのだと教えてもらった。途中で田川、薄川、女鳥羽川を渡るところは川の下を通しているらしい。
50代で水道局を退き、下水処理場やゴミ焼却場など臭い職場の責任者になった。24時間火を絶やさないことで、有害ガスを出さない焼却設備の導入も、時代の要請だった。水道とゴミを自前で処理できない自治体は、どんなに資産山林があっても合併せざるを得ないという面があるらしい。
もう90歳近いので、今は仕事はしない。特に好きだから始めた職種ではなかろうけれど、文系役人どもの都合に翻弄されながらも電気技能の技師として責任を任され、日々暮らしに直結する町のインフラの基盤を担った密やかな満足感を想像する。
いづれ奈良井川源流を完全遡行してみたい。
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