トヨタグループの豊田佐助邸、瀬戸・美濃の陶磁器輸出で富を築いた井元為三郎邸の橦木館、電力王で福沢諭吉の娘婿福沢桃介と日本初の世界的女優川上貞奴が築いた迎賓館の双葉館、それから松坂屋の初代伊藤次郎左衛門祐民の築いた迎賓館の揚輝荘聴松閣と。
戦前の優れた建築が好きなので、堪能しました。どの家も和洋折衷のあしらい、外観の美、天井や梁に巡らした工芸、タイルや真鍮の金具に至る趣味の深さ、小さな間取りに工夫された居心地感と、この時代の建築は見ていて飽きません。60回以上の名古屋空襲でよくぞ燃えなかったもの。
共通しているのは、戦後米占領軍に摂取されたあとはどこも顧みられず、廃墟同然まで落ちぶれたり、内装は壁を埋めたりして社員寮などに実利用されていたりと、全く敬意を払われていなかった点。これが僕には未だに謎です。揚輝荘に至っては、周辺の丘陵の庭園部は昭和時代には荒野原、平成に売り払われて高級マンション林立で、今はその谷間になっています。昭和までの日本人、そんなに忙しかったのかい?たかが40年前なのに、もう想像できない。こんなふうに保存復元して一般公開できるようになったのは21世紀になってからだ。
でも思えば札幌の同時代の結構素敵な洋風建築だった一軒家「おばけ屋敷」を、昭和50〜平成7年位まで、北大山岳部の学生が今で言うシェアハウスで、好き勝手に使っていた。あれはあれで若者たちのよき思い出として残った。
古い建築が大好きだ。もう決してすぐには作れないから。
土曜日のお昼は、 筒井町の1902年から続く味噌煮込みうどん屋の岩正。
日曜日のお昼は、覚王山のメンチカツ弁当屋で買って、揚輝荘の樹林の庭で食べた。いい案だけどまだ暑い秋で、蚊だらけだった。クタクタになって帰って夕方自宅のベランダに腰掛けを出してかみさんとビールとおはぎ(筒井町の松月)食べたらすごくゴキゲンになって、ここ半年で最高に気持ちいい幸福感の居眠りをした。自宅なのにリゾートホテル。
「名古屋で観光するならどこ?」と聞かれて「揚輝荘」といつも答えています。それぐらい雰囲気が好きです。近隣にある古川為三郎記念館も数奇屋造が綺麗なとこで美術館とセットで入館してゆったり過ごすのを進めています。
池下〜覚王山〜東山公園あたりはマンション乱立の中に妙に探検要素がありますね。
覚王山は名古屋中心から最も近い丘陵だから、歴史の古い遊山で、有力者の別荘地、それにやっぱり坂は、遊び心誘うんですね。高層建築物無かった頃は、お城も熱田湊も見えたと思います。
こっちのタメサブローは、言われて気づきましたがあの坂の横の古い屋敷ですね。末森城も含めて、また歩きに行きたいです。丘の上には未だ廃墟っぽい塔もありますね。
昭和の時代の子供の頃、近くに住んでいたので、今では埋め立てられた「姫が池」には良く魚釣りに遊びに行きました。今ではない配水塔が坂の上にあり上水道を市内に供給していました。近くにあったはずの「揚輝荘」は子供心にも知りませんでした。「姫が池」付近は、夜になると幽霊が出るという噂のある荒れた寂しい場所でした。「姫が池」の名前の由縁は近くの末盛城の姫たちが今川軍勢の攻撃に会い、逃げ場を失って入水自殺した場所のために名付けられたそうです。今は、マンションが立ち並びその面影はないでしょう。しかし、歴史を見るとまた別の見方ができます。
姫が池ってバス停や交差点の名前にはあるのに地名も池もなくてちょっと引っかかっていたんだけど、やっぱり埋め立てられたんですね。ひどいことするなあ。
岡と窪地の起伏ある一帯ですよね。いまでは交通量の多い、でかい通りの交差点で殺風景だけど、こういう場所こそ昔を想像しがいがあるというものです。揚輝荘とマンション山からすぐの場所なのにこっちは車びゅんびゅんの道です。名古屋って昔を想像するのに結構力が要りますよ。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する