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道に迷ったりしないんですか?というのもその一つです。道に迷うという言葉は結構ヘンで、実際には多くの場合は、道ではないところに迷い込んで「道を失う」というトラブルが多いのではないだろうか?
「道に迷う」とは、たくさんありすぎる道の分岐で「どっち行ったらいいんだ?」と迷う意味ではないのかな?これは道がたくさんありすぎる人工世界ではよく起きることで、天然の山に行くほど、無いです。もともと道が無いんだから。よく新聞に書かれている「雪山で道に迷った」というのは、ヘンでしょう。
沢登りと、雪山登山では、もともと道が無いので、「道に迷う」心配も「道を失う」心配も絶対にありません。常に自分の道を設計しながら進むから。あるのは「現在位置に迷う」か「現在位置を見失う」ことです。
言葉尻の問題とはいえ、心の底を映していることに気づくことがあります。「山で道に迷う」と言っている人は、山も天然世界ではなく人工世界の延長であるという認識が残っているのではないか?
道のない山行では「現在位置に迷う」が最大の醍醐味でもあります。「迷い」を、「不安」を、少しの移動と限られた時間をかけて解決していく。日常では滅多に味わえないこの醍醐味も、GPSを使うと台無しに。
つまり、冒頭の「道に迷ったりしないんですか?」の応えに窮したのは、「現在位置に迷う」ことがそんなに嫌なら、何が面白いのか?というこちらの先走り感覚であり、果たしてそこまでの長い思考過程を話すのに付き合ってくれるほど真面目に訊いていくれている相手かどうかがわからなくて窮するのです。
これとは別に、人工世界延長の低山里山は文字通り「道に迷う」ということが多いと思いました。作業道や古い道、新しい道が錯綜し、案内標識も無く。いちいち地形図にも載らなければ、地形図を見ていても、これは迷う。「道に迷う」という言葉はこういう山ではふさわしい。自動車の無かった近代以前の日本で、ほとんどの人が移動の際に山越え、峠越えし、柴を刈り木を伐った里山での感覚だと思う。
写真は道を外して現在地を把握している谷の中。
これも獣道っぽい、こっちも獣道っぽい、あそこもそっちも獣道っぽい。何もかもが道に視えてしまうという、"全ては道"症候群と呼んでいます。要は どこを通れば楽そうかな、と考えて選びながら進んだ、というだけの話なんですが…。
クマ道は歩幅が合わないし、木に登っちゃうし。やはり巻道で一時的にちょっと借りるだけ。
古い道は、地形や障害物などに対して歩き易いよう合理的に引かれていることが多いもの。今は、道を失うとGPSを頼り強引にショートカット、その記録をインターネットにUP、それがまた参照され一般化してしまう。古い道は廃れ、歩き難く不安定な踏み跡が定着してしまう。残念に思うのですが……。
新しい人には、山を始めたときにはGPSがある時代ですし初心者必携とされるのですが、いつか卒業したときが、本当の山の始まりだと思います。
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