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城は今でこそ石垣の上の天守のイメージですが、この時代は、禿山の、土を盛った土塁と土をほった堀切で構成した茶色い土の山でした。当時は革命的に全山石垣で固めた小牧山城は、巨大な灰色の石の山のピラミッドのように出現し、平野の遠くからもよく見える威圧的な風貌だったと、信長公記にも自画自賛して記述があるそうです。いまでは 全山緑の小山ですが。
当時の石垣技術は高さ3mがせいぜいなので、実際には熊本城や名古屋城みたいな凄く高い石垣ではなく、棚田の石垣みたいな段々式なのですが、下から見上げると、高い石垣に見えるという仕掛けです。わずか数十年で至った技術革新の、はじめの一歩なのでした。
小牧山城は、名古屋の北にあり、濃尾平野に孤立する標高差80mの小山です。1563年、信長が若い時初めて築いた山城で、ここで斎藤道三と戦い、その後岐阜城を築き、更にその後安土城を築いた始まりの城でした。
少し前、岐阜城を見学したときにも見た、褶曲チャート岩の壁がここにも露頭であり、信長はこれが好きだったんだな、と思いました。石垣の脇に、これみよがしに露出させてあるので。
山頂には時代錯誤な模擬天守が建っていて、登山愛好家にとっては楽勝で登れる小牧山ですが、かなり見直しました。自宅の横にこんな山があったら楽しいだろうなあ。
小さな里の小山でも、登山愛好家は愛でる。どんなふうに人々が関わってきたのか。見える景色の変遷を想像する。
点、線、面、立体、時間軸を加えてその山を点検する楽しみです。
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