コサック反乱軍の頭目、「ステンカ・ラージン」は山岳部の焚き火ミュージックで80年代は人気の曲だった。「久遠に轟くヴォルガの流れ」とか「ドン・コサックの群れに」とか「ペルシャの姫なり、燃えたる唇と」とかイグゾティックなワードに満足していたが、そもそもドンとヴォルガは違う川じゃないか?とか。なぜ最後は悲しむのか?とか深く考えてこなかった。姫は水死したんだ。
その名もステンカ・ラージンという本でよくわかった。うーむ1670年。寛文10年、徳川4代家綱時代かあ。タタール人のクリミア・ハン国から防衛するためのモスクワ版の万里の長城、トゥーラ線やベルゴロト線そしてヴォローネジは、ロマノフ朝作の防衛都市だったのだ。
タタール人はクリミアハン国からいまのタタルスタン共和国まで広域に居るテュルク語系でイスラム教徒になった元モンゴル帝国人。支配者のモンゴル系は少数だったからテュルク語化、イスラム化したのだろうけれど。モンゴル帝国の残留勢力。欧州人にとってのモンゴルはタタールを指す。
一方のコサックはロシア人の「脱走農民集団」で、タタール勢との前線にいた自由武力勢力ということか。ドン・コサックはドン川中下流域(今のロストフとか)が根拠の群団。コサックにはドニプロ川流域のザポロージャコサックもあり、こちらが今のウクライナ側のコサックで、やっぱり川を舞台にグループが違う。こちらの敵対者は当時の統治者リトアニア・ポーランド王国。
ドン・コサックを率いたステンカ・ラージンは1668年ヴォルガ川を下ってカスピ海沿岸のサファーヴィー朝ペルシアの沿岸を海賊して回った。そのとき捕獲した「ペルシアの姫」の伝説が、件の歌のようだ。ドン川とヴォルガ川はツァリーツィン(今のヴォルゴグラード、昔のスターリングラード)付近で数十キロ近くまで寄っているので船を運んだのか。
同じく人気のロシア民謡「ジグーリ」のジグーリ峰はヴォルガ川屈曲部の中州にある高くない山で要塞都市サマラの裏山だった。ソ連時代はクイビシェフと憶えた町。最高峰は標高381.2mのナブリュダテリ山(ロシア語: гора Наблюдатель)で、これはヨーロッパ・ロシアの最高地点らしいよ。函館山くらい?
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次は、スターリン時代にイスラム的共産主義を標榜して消されてしまったタタール人革命家、ミールサイード・スルタンガリエフの伝記、研究本。ソ連崩壊後に名誉回復され研究が進んだ。タタール人は今もロシア内の少数民族の最大勢力で、タタルスタン共和国やバシコルトスタン共和国やウドムルト共和国にたくさん居る。どんな人たちなんだろう。
TVで見るロシア人の顔立ちが様々で、あきらかに西欧顔とは違うアジアンな感じが、13世紀のキプチャク・ハン国以来の民族的歴史なんだな。個々人の先祖なんてよほどの貴族でも無ければ三代前までしか私にだってわからない。
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